今日の仕事の休憩時、私はスタバにいた。昼は休憩室ではなく、必ずどこかのカフェに行く。Twitterやらインスタやらをのぞいていたら、丁度コーヒーハラスメントという言葉が目に入りハァ?!?!?!となった。
「アルハラ」は耳慣れた言葉となったが、「コヒハラ」(=コーヒーハラスメント)も定着するかもしれない。
— 阿部公彦 ABE Masahiko (@jumping5555) 2023年10月19日
私自身は愛飲派だが、コーヒーが出されて「すいません…飲めなくて」と言いにくそうに言う人はけっこういる。
この「言いにくさ」の原因が、抗いにくい「常識による圧迫」なのだろう。
(プロフィール見たらこの人なんか普通に評論家らしい…ビックリしています…)
私はコーヒーが本当に好きだ。「三度の飯より好き」と言うのは大体過言になりがちだが私にとっては過言ではない。実際朝と昼は必ずコーヒーを飲む。夜も飲みたいけどカフェインに弱いほうなので飲めないだけだ。だから来客時にも出す。皆好きだろ、という思い込みはたしかにあるかもしれん。でも出す時は必ずコーヒー飲めますか?とききますし、飲む側も飲めんなら言ってくれますし、てか飲めないなら飲めないて普通に言えば良くない???俺の挽いたコーヒーが飲めないってかと怒り出す人この世にいる?いたとしてそれやばい人では???いちいちコーヒーや茶を出すという行為が日本人の素敵なお・も・て・な・し-omotenashi-の心というのがわかっていながら、なんでこういうこと言うかね?わざわざハラスメントにつなげて誰が喜ぶかね?どこのジャンルが栄えるのかね?わざわざここ評論したがる意味???なんもわからんがな(なぜかご乱心)
この人は「常識による圧迫」について述べたかったみたいだがこの例えは微妙だと思うぞ。コーヒーはおいしい。だからあなたにも飲んで欲しい。コーヒー出すのはそういう心からだ。アルハラとはまた違うだろ。私はコーヒーを愛しているよ。
