そう言えば5月には中田裕二観に行ったんだった。あとフェスにも行ったんだった。大切な記録になるのになんで書いていないのだ。そう言えば昨年末のネオランドも書いてないし1年前の5月の小山田壮平も書いてなくない?怠惰すぎん?



そう言えばこないだ行った某フェスにて、1組だけ違和感を感じたグループがいたのでそれを書く。そのグループは女性のバンドで、私も好感を持って聴いていた。過去にそういったフェスで何度も見たことがある。今回なぜモヤッとしているかというと、珍しくセトリがかなり微妙だったんである。知ってる曲も1曲しかなかった。ハァ?知る知らんはオマエの事情やろ知ってる曲やれってか?と言いたいこのブログの数少ない閲覧者の皆様、そうアナタ、私が言いたいのはそこじゃないんですよ。そのセトリ何を目指したんだろう???って思ったんです。



他の出演者、若手から大御所まで様々おられましたが、割と随所に気遣いが見られた。歴が長いアーティストの方が顕著ともいえる。みなさんが知ってる曲やりますね~つってMCでも盛り上げてくれる。それはきっと「フェス」を理解しているからだと思う。そこに居るのは自分たちのファンだけではないという自覚。



「皆が知ってるような曲」をまだ持たないアーティストも勿論いて、じゃあそういう人らはどうするかっていうとノれる曲とかやっていたし、初めて聴くけどなんかいいなっていう、知らない者からしても「多分これ見せ場なんやな」とわかるような曲を盛り込んでる。今日新規ファン作ったるで!という気概とも言えるかもしれない。



ところがその女性バンドには、それがなかった。絶対とは言えんけどでも言いたい。多分無かった「観衆の中にちょこちょこいる彼女たちのバンドロゴが入ったタオルを肩にかけている往年のファンたちのみに向けているセトリ」のような気がした。



それを見ながらくるりのことを思い出す。くるりはそのへんがかなりうまいアーティストだと思うからだ。くるりを「赤い電車」の人だと思ってる人はわりと多い。だけど「赤い電車」が彼らの真髄かというと全くそうではないしなんならあれは結構珍しいタイプの楽曲である。彼らの本質が見れるのは「morning paper」だったり「飴色の部屋」だったり「ロックンロール」だったり「liberty&grabity」だったりする。「ばらの花」もそうだ。「琥珀色の街、上海蟹の朝」もそう。きっと彼らはそれをわかっていて、単独でもフェスでもかなりの頻度で演奏してくる。逆に言うと赤い電車ほとんどやってない。んでそれらはシングルだったりシングルじゃなかったりする。でもどれも「これ何?」ってなる。ファンだからという贔屓目を抜きにして言ってる。くるりってのは毎回これ何?ってなるセトリにしてくるんである。だから新規が増えてる。悔しいけど増えてる(こじらせオタク)。



その女性バンドは、贔屓目に見ても何が見せ場かわからなかった。強いて言えば転調してるかんじの曲があったけどそのくらい。メロディアスに行きたかったのか?こんな曲もやれる私たちを見せたかったのか?全然わからんけど私にはなにもわからなかった。他の人の意見を聞いていないのでこれ以上なにもわからずオチもないが、好感があったバンドなだけに逆の意味で印象に残ったという話。