先日、地元の友達とオンライン飲みをする機会があった。彼女は藤井風にハマっており、彼がカバーした椎名林檎の曲の話になったついでに「林檎さんずっと好きやったよね?林檎さんの良さが私正直わからんくてさぁ…どういうところがいいと?」と言われた私。
そんなこと言われましてもというかんじなので、特に多くは語らなかったが、あとになって風呂場で私も考えてみた。
やっぱり、邦楽ロックを変えたからかな?端的に言うとそうだよな。うん。1999年。音楽史上、あそこから変わったって言われる。aikoとか宇多田ヒカルとか浜崎あゆみもそうだけど、作詞作曲できるソロの女性歌手が台頭する中、その中でも彼女はやはり個が際立っていた…それは当時のやや奇抜なヴィジュアルもあったし、意味より語呂合わせが重要視されたグルーヴ感のあるやや難解な作詞。そうそれは空耳アワー的な面白さ、例えば「輪廻ハイライト」なんかはまさにそれで、真面目なのかふざけてんのか、いや真面目なのだ、他にも実験的な曲も多いしこうなってくるとアルバムの構成をみてもシンメトリーが常に意識されタイトルなんかもうウンヌンカンヌンと考えたあたりでやめてしまった。
そのあと、YouTubeの関連動画に上がってきた椎名林檎の昔のトーク番組。約30分程のその動画に見入る。そうそう、リサステッグマイヤーね。懐かしいよねこの番組。それはいいとしてさ、私この人のこういうところが好きだった。作れてるようでまだ未完成で、言葉を選んでるようで選んでなくて、好き嫌いがハッキリしていて、なににも物怖じせずに振る舞う。その姿が無邪気で、大人っぽいようで幼くて、個性ってこういうことなんだなと思う。そして私はいつも、それが羨ましかった。今の、技巧派で最早出来上がってしまった林檎も好きではあるけど、天然記念物のような初期の林檎ちゃんが本当に好きだった。
作り込まれたものも作品として素晴らしいけど、にじみ出るような、隠せてないその存在感。林檎ちゃんのよく出来た曲よりも、私の惹かれるのは当時の彼女の存在感だったなぁと思う。
答え出た。
(藤井風もいいよね)