小さな頃は6人家族だった。父と母と母の妹とその息子とばーちゃんとで、同じ家に住んでいた。うちの父はリアルマスオさんだった。1階はばーちゃんが営む食堂で、夕飯時になると2世帯集まってごはんを食べた。小さな頃は8つ年上のいとこのことを「母が違う兄」だと思っていたし、こういう家が私にとってのあたりまえだった。家は建て直してほんとの2世帯住宅になって、にーちゃんはほとんど家に帰らなくなり、そのうちばーちゃんは施設に入り、父は亡くなった。私は嫁に行き、今の家は母と叔母がふたりで住んでいる。






ばーちゃんが危ないときかされたのは先週の中頃だった。痴呆症でここ5、6年はもう娘も孫もなにも覚えていないような様子で、会話出来るわけでもないしわざわざ帰ってこなくていいよと母に言われたが、やはり最後に会おうと思い先週の土曜日、ばーちゃんのいる施設に会いに行った。久しぶりに会うばーちゃんはだいぶ弱っていて入れ歯もなく口を開けたままで、でもあと数日といわれるわりには思ったより全然大丈夫そうで、私を見ると少しだけ笑ったような目をしてくれた。私の横にいるのはにーちゃんではないよ旦那だよ、と言いたかったが言ったところで誰が誰だかわからないだろうから、もうなにも言わない。多分これが最後になるんだなと思いながら、頭を撫でて帰った。その夜、老衰という単語でぐぐった。悪いことは一切書いていなかった。ろうそくの炎が少しずつ少しずつ小さくなるように命の炎が消えていくという。その瞬間には快楽物質も出るといわれる。書いてある限りばーちゃんが苦しむことはなさそうで、すこし安心して、眠った。





5日後にばーちゃんは死んだ。うちの家族は葬式をせず家族だけで見送る直葬という方法を選んだ。火葬だけだから無理して帰ってこなくていいよと言われたが、亡くなった翌日、私は仕事を午前で切り上げて実家に帰った。今日は昨日までよりずっと冷え込むと天気予報が言っていた。駅に着くと強めに雨が降っていた。母が迎えに来てくれた。




山奥の火葬場は思ったより綺麗な立派な施設だった。着いたら叔母といとこが既にいた。5年ぶりに会うにーちゃんは40の割に若い。責任感とか持たんと若くおられるとよと、何十年もヒモみたいな生活をする彼はいう。ピーターパン(シンドローム)やけんね、と叔母が笑う。うん、俺診断されてるからね、と真顔でにーちゃんがいう。あとなんか声が高いのもウケる。つくづくうちは、変な家族だ。




並べられたいすに4人1列腰掛けて、みんな揃ったよ~よかったね~と叔母は眠るばーちゃんに大声で話しかけた。叔母がウェーブしようと言って、にーちゃんから叔母、母、私の流れでウェーブを⒉3回した。爆笑した。うちは本当に変な家族だ。私は笑いながら泣いた。泣かんでよかとさ、ばーちゃんはにぎやかな方が好いとらすけんさ、と叔母は気丈だった。叔母はずっと笑わかせていてくれた。いつもどんなときもそんな人だ。




お焼香をして、湿らせた綿棒で、みんな1人ずつ最後のお水を飲ませてあげた。火葬の準備ができるまでの控え室での時間もみんなでお茶を飲みながら和やかに過ごした。母と叔母は韓流アイドルにはまっているので、畳の上で踊ったりしていた。にーちゃんは、デートはどこに行くのか、ラーメンならどこの店が好きかなど、5年前にも聞かれたような非常に重要度の低い質問をしてくる。にーちゃんはというと、ドンキでウインドウショッピングだという。小ボケかと思いきや真顔で言うので笑えなかった。ちなみにラーメンは一蘭派らしい。




準備が整って係の人に呼ばれ、みんなで棺にお花を入れた。最後に大きな花束はにーちゃんが、松露饅頭と大福は私が任された。納棺師の方が、もう最後ですから沢山触ってあげてくださいといってくれて、みんなで顔を撫でたり手を握ったりした。ばーちゃんの死化粧は品があってきれいだった。ばーちゃんが怒ったり泣いたりしてるところは私も母も叔母も見たことがない。痴呆になってもずっとにこにこしていた。優しさが顔に出てるばーちゃんだった。最後の最後に叔母が泣いた。大声をあげて泣いた。生まれ変わったら親孝行するけんね、絶対またあおうね、と叫んだ。笑っとんか泣いとんかわからんわ、と母がそれを見ながら泣いた。にーちゃんも私も静かに大きく泣いていた。





控え室に戻ってからも叔母は突っ伏して泣いた。私たちが生まれる前は女3人の家族だったのだから、母が亡くなる悲しさは想像がつく。60になってもいくつになっても娘は娘だ。でもそんな叔母を見るのは初めてだった。叔母は直葬にしてよかった、と言った。他人がいたらこんなふうに大声で泣くこともできなかった。そして、ねーちゃんきつかったろう、旦那が死んで悲しみに浸る暇もないまま、通夜とか葬式とかでひとのご飯とか準備してさ…と7年前の父の葬式のことを思いやった。母も泣いていて、あの日はばたばたしてて泣く暇もなかったけれど火葬が終わり移動する車の中で骨壷を抱えたときにめちゃくちゃ泣いたという話をはじめてきいた。母も叔母もLINEではふつうだったくせに、どうやらここ数日はあまり食べられなかったようで、ひと通りおわって気の抜けたような顔をしていた。本当にうちの家族は、世間体はどうでもいいとかいいながら、自分よりもまわりを気遣って生きている。あまのじゃくな人たちだ。きょうは、昔の6人家族で集まれて、ばーちゃんを見送れて、葬式をしないで、本当によかった。





火葬場を4人で出る時、骨壷を抱えた叔母と母はダースベイダーのテーマを歌った。その後ろを私とにーちゃんがにやつきながら続いた。本当に変な家族だ。これでも根は真面目で愛があるんだ。私はこの家族が本当に好きだ。





そのあと4人で昔からある近所の寿司屋に行った。この家族でごはんを食べるのなんか25年ぶりとか本当にそんなかんじで、私は奇跡みたいと思った。にーちゃんはYouTuberになることを密かに企んでいるらしいがまだ登録者9名というので笑った。是非なって欲しい、応援すると言っておいた。ピーターパンは満更でもなさそうだった。彼女を置いてきてるからそろそろ行くと言って、ハグを求めた叔母に照れながらも応じて出ていった。私たちは寿司定食を平らげたあと天ぷら盛りを追加した。




家に帰ったらばーちゃんの骨壷がある。ばーちゃんが帰ってきた。きょうは本当に忘れられない日だ。