先日。私はクレーマーと化した。数年に何度かの稀な話だ。その内容を、何人かとっつかまえて話したら、確かにそれはあなたが正しいね、と頷いてもらえたんだが、だがはたしてそこまで激昂することかねェ…。といいたげな雰囲気を、私は感じなかったとは言わない。自分でそう感じているのだ。なぜ、わたし、あんなに激しく憤ったのだろう。
けっこう長く考えたんだが、おそらく、それは私が今一番悩み、気を付けているところだからだ。と思った。
私の仕事は主に紙一枚での契約だ。そこで大きな金が動く。説明不十分、意向確認不足、それらに当てはまらないよう、諸先輩方により練りに練られたシステムの中、日々慎重に執り行っている業務だ。
管理職になってからは、むかしの何倍も神経をすり減らす。部下は、私ひとりでは絶対にあり得なかったようなミスをしでかす。その責任をとるとなると、きょうはこれ、あすはこれ、と、とどまることを知らないクレーム対応の波に、こんなはずじゃなかったとうちひしがれることも多くなった。一件一件がとてつもなく重いのだ。
ところが、今回私が発したクレームってやつは、署名と支払いが絡んだ案件だったのだけど、書かせてきた相手の軽さがひどかった。もちろんその場ではなんとも思わなかったのだけど、のちほどわかった事実と照らし合わせれば、いやおまえ何適当にやってんねんと慣れない関西弁を使うほどにとにかく腹立たしいものだった。軽く書いた私もなにやってんだと思うのだが、要は、信頼していたのだ。そことの付き合いはすでに五年にもなる。署名したあとで知った事実だとしても、契約は契約、ちゃんと書いてあるので、で済まされてしまう。そのシステムを知ってるからこそ、その軽さが許せない。今日申し込まれますか~じゃねえよ、ちゃんと言えよと。ここに書いてますよいいですね、と。これまでの5年の信頼関係ががらがらとくずれる音がした。というと大げさか。そこまではない。
ただ、ここに書いてあるので、で済ますのは絶対に不親切。絶対に面前で読み上げるべきなのだ。少なくとも私はそうやって8年やってきた。あらゆるリスクを伝えてからでないと本当の合意にはならないはずだ。紙一枚で金が動くし、人の心も動く。そこをわかってない軽さは、本当に罪だ。私がそういった意見を包み隠さず伝えたのは初めてだったからか、最終的にはたいへん丁寧に対応いただいたわけだが…その後いただいた謝罪の文面が、これまたなんだか、若干ズレておられましてですね、さきほどまで収まりかけた「社会なめとんか」の思いがまた再燃する私です。ざっというと、毎月人様から金もらってるくせにその自覚のないような発言があった、ということ。これからも発展途上の私たちを見守ってほしい、と、自らをどっかのタレントかなんかと勘違いなさっているようなアホ発言。ちがうから。応援とか違うから。金払ってるから。それに見合うことするのがビジネスだから。わかるよね?
一年目のとき、お客様に叱られたことを思い出す。きちんとした対応ができなかったとき、思わず私は、新人なので申し訳ありませんと言ってしまったことがあった。そのお客様は、あなたが新人だろうが関係ない。同じお金を払いサービスを受けてるのに、そこに差があってはいけない。あなたはプロなのだから。と、厳しく怒ってくださった。こないだまで学生していた当時の私には衝撃的で、でも120%正論であるその言葉には、仕事の厳しさを震え上がるほどに思い知らされたものだ。それから私は、お客様に失礼なことはしてはいけないと思ったし、もっとできることを探そうと思った。そこから8年経つ。
それなのに、ああそれなのに。5年も経っておきながら「未だ発展途上でスミマセン色々ありますが日々成長してるなと思ってます!」とか平気で言ってくる辺りちゃぶ台あったらひっくり返したい。どんだけ時間かかっとんねんさっさと成長してくれ。
ああ、私、仕事のことばっか考えてるな。
