時に、ようこんな詞書きましたねぇ!と叫びたくなるような素敵な歌詞があります。私が人生で初めて衝撃を受けたのはバンプの「K」だったんですが、ふじくんのは星新一ばりに小説にもなれそうなふしがある。そういうのとはまたちょっとちがうシンプルなやつでひとつ。
星野源「くだらないの中に」
髪の毛のにおいを嗅ぎあって/くさいなあってふざけあったり/というサビがなんとも良い曲なんですが、私はそれよりも二番のサビを言いたい。
首筋のにおいがパンのよう/すごいなあって讃えあったり/くだらないの中に愛が/人は笑うように生きる
これの良いところはね、まず首筋。首筋が艶です。そしてパンが出てくるところが素晴らしい。パンといえばあったかかったりとか甘いにおいとか、それが首筋にイコールしてくるのがほのかにエロく、しかしその後に讃えあうところでとっても爽やかになります。日常で普通讃えますか?讃えません。私なら卒業式で大地を讃えたくらいです。そんな「くだらない」ことを讃えた愛の歌なんですね。素晴らしいです。
そういえば好きな人を食べ物に例える歌が時々あります。擬人化ならぬ擬食化?これってなんか妙に艶めかしいことがあります。たとえばスピッツの「うめぼし」とか、くるりの「ハム食べたい」とか。
「ハム食べたい」ってのはこれ倦怠期の男女の歌なんだが、これがもう素晴らしいです。
いつも通りベッドに入って/いつも通りそっぽ向いて寝たふりのまま独り言/テレビのタイマー切れてしまって/蛍光灯の豆球だけじゃ 蛍光灯の豆球だけじゃ泣いてるのかもわからない/キスはいつでも塩辛い
彼は豆球のせいにして気づこうとしないところがなんともやるせないですね。塩辛いくせにね。それでも彼は桃色のハムが食べたいと言うのだ。けだるくて妙に切ない、私的岸田繁の傑作です。そんな日本語詞好きな私ですが、ザフーのTシャツを買ったらザフー熱が再燃しザフーばっかきいてます。結局。