残る休みもあと1週間余り。




昨晩は、上京するCHI-CHANを送るお食事会的なものを、サークルの先輩に開いていただきました。地元にしては割とおいしいとこでご飯食べました。




皆離れ離れだ。寂しがるちーちゃん。私も寂しい。お互いをゆうゆうコールに入れることにしました。





この季節のせいか、いろんなものを清算する機会が多いです。人との会話でも、思い出を振り返ったり、過去を引っ張り出してきたり、そのせいですっきりすることもあればもやもやする事もあったりします。




最近いつにもまして言葉に敏感になっています。




字面だけ綺麗なものが並んでも、伝わらないものがあります。その原因は、それを発する人自身の人となりもあるだろうし、私自身のその人への偏見や思い込みもあると思います。




でもこの際原因はどうでも良いのです。伝わらないものは伝わらない。伝わってこないという事実が答えです。




ラーメンズ風に言うと、「届いてないねー、僕んとこ届いてないねー。頑張んないと!岐阜くらい頑張んないと!」てかんじです。




だってね、たった一言、無言だとしても伝わるものもあるんです。




この時期、過去を振り返る中で、沢山の良い思い出の中に残念な出来事も少しだけ、思い出す事がありました。その中に居た人はいつも、言葉に責任の持てない人だったように思います。




最近、ラーメンズのDVDBOXを引っ張り出して見てます。




私の好きな歌手だったりお笑いさんだったりは、言葉遊びや語呂遊びが巧い方々ばかりのような気がします。そして、自分の作品に真摯です。練りに練ってひねり出された言葉はまっすぐ届いて、人を笑かしたり、泣かしたりします。




言葉を商売にするその苦労ったらないなと思うし、巧みに操れるその才能にまた脱帽です。




インプットは出来ても感情があっても、一旦持ち帰って消化しないと言葉に出来ない私は、なるべくして喋り下手になり、ひとりで自己完結するようになってしまったのだろうなと、今、思いました。




そんなわけで、アウトプットする能力が十分に無い私は、その才能に大いに憧れるのでした。




言葉に責任を持つということがいかに大変か!そして言葉に向き合う人がどんなに魅力的か!才能はなくとも、私は絶対に言葉を大切にしたいです。




こんな具合にまとまらないまま吐き出したところで、収拾つかないことに気付きました。とにかく、このモヤモヤをマーチンとプーチンの軽ーい歌が吹き飛ばしてくれんかなってかんじで終わります。



でもこの歌が実は深いんだな。
最終的には手近な人間…
恐れ入りました。