昨日は友達とジョイフルにご飯食べに行きました。本当は焼肉に行く予定だったけど、予約するのが遅かったので妥協案で。
ハンバーグを食べました。久々に行ったらメニューが新しくなってました。
今回食べたチーズインハンバーグってのはなかなか美味しかったです。ほんとにハンバーグの中にどっしりしたチーズが入ってて、濃厚でした。「どうも、チーズです!」ってかんじでした。
この友達とは珍しく今週3回くらい会っていたので、彼氏か!とツッコミ合いましたがお互いまんざらでもない風でした。
彼女は美容部員やってもう3年になります。ありがたい事に、またサンプルを届けてくれました。スキンケアに使う化粧品はケチるもんではありません。そんなことを最近学んだところです。
ドリンクバーをしながら、「最近ありえなかった事」「最近嬉しかった事」などテーマに沿ってだらだら話をしていました。彼女の相槌は面白く、かつ相手を思って親身になろうとしてるのが伝わってくるので、毎度のことながら感心します。
彼女はこの春から仕事に加えてまた新しい勉強に入るらしく、大変だと言いつつも凄く嬉しそうでした。
彼女とは小学校からの長い付き合いだが、その中で深い話ができるようになったのは、彼女がその勉強を始めるようになった5,6年前からだと思う。
辛い事があった時、私はこれも運命だったと思う。それで乗り越えられる事がある。それは諦める事にも似ているけど、なるべくしてなった、と思えば、これを糧にしていけると思うのです。
身体が傷ついた時、心が病んだとき、いつもそれを思います。
で、私が何故運命なぞ信じているかと言うと、これまでのことを振り返ると、出来すぎ感が否めないからです。
あの時こうしていたからこうなって、という連鎖を辿っていくと、本当に良く出来ているものです。まずその選択をした自分が不思議だし、あの選択がなければ今の私ではないわけで、あの日別の行動をしていれば私は全く違う道へ進み、もしかしたら死んでたかも知れません。
その偶然が、運命だと思うんですね。そして私はラッキーです。
なるべくしてなった、というこの抽象的な言葉に、彼女は心から同意してくれます。
身近に起こった不思議な現象に自分が守られている事を実感して泣けただとか、そういうことを恥ずかしそうに言う彼女に、私は凄く同感します。
私は彼女みたいに何かを信仰していないし、自分が何宗に入ってるとかもわかっていないただの仏教徒ですが、そんな大層なものじゃなくても、信じているものや好きなものがあります。
本当に、助けられているなと思うことばかりです。