中日新聞
<銀メダリスト浅田真央に聞く


フィギュアスケート女子で銀メダルを獲得した
浅田真央(中京大)が大会閉幕の28日(日本時間3月1日)、
本紙のインタビューに応じた。
年齢制限に阻まれたトリノ五輪から4年を経てたどり着いた夢舞台。
何を思い、何を感じたのか。そして4年後は。
19歳の本音に迫った。


 -銀メダルをどう受け止めている。

 うれしさが50パーセント、悔しさが50パーセントです。
銀メダルだったが、一夜明けて次へのステップだったかなと考えました。


 -演技直後や表彰式では悔しそうだった。

 競技が終わってすぐだったので悔しい思いもあったが、
すごくたくさんの日本人の方が応援してくれて
国旗がたくさん見えたので感動しました。


 -悔しさはどこから。

 やっぱりフリーの最後の二つのジャンプ。
あそこまで今季ベストの演技ができていたので、その分、悔しさも倍あります。



 -フリップとトーループでの失敗は驚いた。

 やっぱりアクセルよりも簡単ですし。
フリップはたまに失敗することもあるが、
トーループは全くなかったので予想外だった。


 -ミスはどうして。

 最後の気持ちの揺れが、ミスにつながった。
集中して跳べばよかったが、ここで大きな得点がもらえるって考えてしまった。
今後にはいい経験だったと思うけど、
バンクーバーでやってしまったことは取り返しがつかない。


 -得点については。

 すべてのジャンプを決めていれば、もっと伸びていたと思う。
でも、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の加点は
もう少しもらえてもいいのかな、と思う。
すべてパーフェクトでやった上での結果を見てみたかった。


 -何が足りないのか。

 もちろん芸術面も大事だけど、やはり自分は技術面だと思う。
ジャンプを決めなければ上にはいけない。
キムヨナ選手(韓国)も2連続3回転とか高難度の技を入れているから
トップにいられる。
基礎点でもっと離すために、ほかのジャンプも練習したい。


 -今季はルッツもサルコーも跳ばなかった。

 タラソワ先生からすぐに練習しなさいと言われている。

 -2連続3回転も入れたい。

 そうですね。練習ではできているので。

 -今季2連続3回転を跳ばなかった理由は。

 トリプルアクセルを2回入れて2連続3回転もとなると、
すごく大変なんですよ。
それよりも確実なジャンプを決めるパターンを選んだ。


 -それは次への課題。

 ソチ五輪までにいろんなことに挑戦して、試合でやっていきたい。

 -キム・ヨナは今季で引退するかもしれない。

 もう一度、自分が勝ちたいという思いはあります。
一緒に試合に出て、もう一度、しっかり自分も勝ちたい。


 -高難度のジャンプがもっと評価されていいのでは。

 この採点システムになってから、
みんなのジャンプのレベルは一段落ちたと思います。
でも、プルシェンコ選手が帰ってきて、
みんなが4回転が必要だと思い始めているので、
それで少し変わってきていると思う。


 -五輪はほかの試合とは違った。

 試合をやってる時は全然、変わらなかった。
五輪は雰囲気が違うとたくさんの方に言われていたので、
その覚悟をして練習してきました。
だから、本番でも緊張はいつもと変わらない状態でできたと思う。
フリーは歓声が大きかったのでキム・ヨナ選手が
いい演技をしたんだというのは分かったが、
しっかり気持ちを落ち着かせて滑りました。


 -想像以上の舞台だったと言っていたが。

 規模ですね。選手村に入って特別な舞台だと思いました。
スピードの選手だったりスキーの選手だったり、
世界中の人が選手村や会場に集まってメダルに向かって頑張っている。
その規模の大きさに、自分も五輪に立てたんだと感じた。


 -この五輪は集大成なのか、通過点なのか。

 最初は小さいころからの集大成だと思っていた。
練習中でも家にいても五輪で金メダルを取りたいと思ってましたし。
終わってみたら、これは次へのステップなのかなという思いです。


 -金メダルへの思いは強くなった。

 ずっと取りたいと強く思っていました。
それは今も同じ。
でも、ソチが近づいたら、もっと強くなるかもしれない。


 -4年後に向けて。

 また、いいものを見せたいと思う。
ソチ五輪まで4年もあるが、あっという間だと思うので、
自分の新たな面も入れながら順調にいけたらいい。
ソチも目標とは言わずに一つの通過点、階段だと考えて。


 -じゃあ8年後も。

 27歳ですか。それはちょっと考えますね。
別にやろうと思えばできるんですけど。


 -来季の態勢は。

 自分もまだはっきりと決めていません。
(タラソワ)先生もロシアで忙しいし、体調のこともあるので。
今季は入れ違いになることもあったけど、まだちょっと分からないです。


 -タラソワコーチに指導を受けられない時期もあった。

 芸術面とかを見てもらいたかったというのはあるが、
先生の体調や仕事もあって。自分が行けばよかったが、
日本でやりたかったし、直前に行っても崩れてしまうかなと感じたので。


 -何らかの形で先生との関係は続けたいと。

 ステップに関しては先生に代わってから一段と
評価してもらえるようになったし、違った自分の部分を出してもらえた。
たくさんの経験をしている先生なので、
まだまだ引き出しはたくさん持っていると思うし、
まだまだ学ぶことがたくさんあると思う。
1年間ずっとというのは難しいけど、短期で指導は受けたい。


 -プログラムは。

 ここ2シーズンは力強い曲だったので、
もうちょっと落ち着いた曲、少しゆったりとした余裕のある曲を選びたい。


 -もっと自己主張をしてもいいのでは。

 でも、最後は自分で決めています。
五輪前に日本で調整したのも。
先生は1カ月前から入った方がいいって言ったんですけど。
選手村に入らない案もあった。でも、すべて自分で決めました。


 -この4年間で一番つらかったことは。

 やっぱり(去年の)ロシア杯が終わってからです。
自分でもびっくりしたぐらいジャンプが崩れていた。
それに気付いてから練習してもできなかったので、その時が一番大変でした。
(五輪に)出られるかな、間に合うかなという不安も。


 -あのころを考えたら、この結果はすごいと思う。

 良かったと思う部分もあり、悔しい部分も。
150パーセントぐらい練習してきて、
あそこまで完ぺきにできていたので、
本当に最後の二つのジャンプが悔しいです。


 -4年間で一番うれしかったことは。

 やっぱり、このオリンピック。
最終的にこのメダルを取れたことは良かったと思うし、
今はすごく頑張って良かったと思ってます。


 -ソチまでどう過ごしていきたい。

 大学では自分に必要な講義をしっかり受けてみたい。心理学とか。
私生活も、この五輪を目指してずっとスケートしかしてこなかったので、
マラソンやヨガやピラティス(主に筋肉の深層部を緩やかに鍛える運動)
とかやってみたい。
マラソンっていっても本格的にではないけど。おしゃれも楽しみたい。


 -恋も。

 したいですね。

 -相手は。

 これから探さないと。理想はイケメンです。
かっこいい人がいい。


 -恋をすると演技の幅も広がる。

 はい。タラソワ先生からもそうアドバイスされてます。

 -ソチ五輪の時には23歳。どんな自分になっている。

 変わってないと思います、たぶん。
(山田)満知子先生にも、
たくさんの人に応援してもらえるスケーターになりなさいとよく言われているので、
それに向かってずっとやっていくと思います。


 -支えてくれたお母さんへの思いは。

 5歳のころからすべて自分のために費やしてくれているので、
銀メダルという形で取れたことは良かった。メダルをかけてあげました。


 -お母さんは何と。

 良かったねって。
とりあえず無事に滑ってくれたから良かったって言ってくれました。



スポーツ報知
佐々木譲氏「日韓戦争にされた真央VSヨナ」…元バンクーバー在住の直木賞作家が五輪を語る


小説「廃墟に乞う」で1月に直木賞を受賞した
作家・佐々木譲さん(59)が
1日(日本時間)に閉幕したバンクーバー五輪について語った。
1993年から96年までバンクーバーに在住した経験があり、
半世紀以上のスキー歴を持つ
佐々木さんが今大会に抱いた思いとは―。


北海道で生まれ育った。
21歳の時、札幌五輪の開会式を客席から見つめた。
今も仕事場を札幌と中標津町に構える佐々木さんは、
クロスカントリースキーを趣味としている。

「(距離女子30キロクラシカルで日本史上最高位となった)
石田正子の5位は、すごいこと。
NHKの中継で『取り上げてください』と言っていたのが印象的です。
ノルディックはフィギュアのように別世界の話ではなく、
自分がいる場所につながっているもの。
5位は、欧州では大変なことです。
取り上げてくれれば(競技を)続けられるという
彼女の言葉には『ああ、そうだよな』と」


開幕直後に日本勢がメダルを逸した
モーグル女子も、胸に残る。

「上村愛子や里谷多英が
コブの斜面をひざを全く離さない状態で滑り降りていくのは、
とても美しく見えるんです。
そして、空中に飛び出す面白さ。
こんなことをやっちゃう女の子がいるなんて、と思いますね。
私の若い頃は滑降、回転、大回転だけ。
このトシのスキーヤーにもね、これは面白いなと。
気持ちとしてはメダルメダルと言いたくないし、
取ればいいという思いすらない。もう十分にうまいから」


94年。
今大会の会場となったウィスラーで
中学2年の上村がモーグルと出会った頃、
佐々木さんも同じゲレンデを滑っていた。
異文化の中で暮らすことで作家としての
幅を広げようとしていた当時、
毎年冬の楽しみはスキー場に通うことだった。

「(モーグル会場の)サイプレスマウンテンの隣の
グラウスマウンテンに通ってアルペンスキーを滑ってました。
最初すごいパウダースノーなんだろうなあと期待していたら、
本当に滑らない雪質だった。
日本で言えば4月に降るようなザラメ状の雪で…」


上村と同じようにウィスラーの洗礼を受けたが、
バンクーバーという街を愛していた。

「普段は天気が悪いから、
天気の良い日は仕事を休んで屋外に出るという気分の街。
ビジネスはほどほどにやればいいじゃない?と。
そんなところもよかった。
1年の予定だったけど、4年も居てしまいました」



日韓両国にとって、一種の国民行事となった
フィギュアスケート女子の金妍兒(キム・ヨナ)と
浅田真央の対決を、佐々木さんはどのように見ていたのか。

「戦争でしたね。
両者を比較して共通点を挙げて採点方式を取り上げて。
でも、五輪を戦争にしたらまずいんじゃないかと思う。
キム・ヨナが国家を背負って滑るのは分かるけど、
日本側は『真央ちゃん、伸び伸びやってよ』
でよかったんじゃないかな。
(敗戦後のミックスゾーンで)ボロボロ泣いている
浅田真央にマイクを突き付けて答えを待つのは、
ちょっと痛々しかった。
控室で思い切り泣かせてやってくれと思うよね」


2人だけを比較する報道の姿勢にも違和感を覚えた。

「発言を聞いていてもキム・ヨナは浅田真央を意識しているけど、
浅田の場合はどうなんだろう。
むしろ安藤美姫(がライバル)だったんじゃないかと思う。
ライバルと意識していないかもしれないのに、
周りが仕立ててしまった」



どの世界でもライバルを意識し、競うことで成長する。
佐々木さんの作家人生も同じだ。

「ライバルの作家たちを、クリアしなければならない
目標にして駆けてきた。
若い頃、船戸与一さんに
『歴史観が浅い。歴史をどちらの視点から描くのか。
お前は時々混乱している』
と言われた。きつかったけど、
そのことを意識しないで書き出すことはなくなった」


デビュー31年目、59歳にして直木賞受賞。
授賞式の夜、祝ってくれたのは船戸与一、大沢在昌、
北方謙三、宮部みゆき、藤田宜永らライバルでもある作家仲間だった。

「あの人の、あの仕事をクリアしてやろうと思うのは、
きっとスポーツでも同じなんだろうね」



今大会、日本勢の金メダルはゼロ。
全選手が敗者ともいえる。
佐々木さんは、敗れ去った者たちに4年後への言葉を贈る。

「メダルメダルと騒ぐ外野は無視して、
自分を高めていけばいい。
メダルを取れなくて残念だと言えるのは本人だけなんだ、
と伝えたい」




時事通信
大会ひとこと


バンクーバーを舞台に
17日間の熱戦を繰り広げた冬の祭典が閉幕。
選手らの喜怒哀楽を拾った。




浅田真央(フィギュアスケート女子で銀メダル)
「予想より(メダルは)重たい。そう感じた。」




鈴木明子(同女子8位)
「歌うように滑れた。幸せな4分間だった。」




金妍児(韓国=同女子金メダル)
「これまで演技後に泣く選手を理解できなかったが、
今回の自分は自然と涙が出た。」





ジョアニー・ロシェット(カナダ=母の死を乗り越え同女子銅メダル)
「もういないから、
「ママは時々うっとうしかった」と言っても大丈夫ね。」





高橋大輔(同男子銅メダル)
「うれしいが、通過点という気持ちが強い。」




エフゲニー・プルシェンコ(ロシア=同男子銀メダル)
「持論だが(4回転を跳ばないなら)われわれの進歩は止まる。」