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佐々木譲氏「日韓戦争にされた真央VSヨナ」…元バンクーバー在住の直木賞作家が五輪を語る


小説「廃墟に乞う」で1月に直木賞を受賞した
作家・佐々木譲さん(59)が
1日(日本時間)に閉幕したバンクーバー五輪について語った。
1993年から96年までバンクーバーに在住した経験があり、
半世紀以上のスキー歴を持つ
佐々木さんが今大会に抱いた思いとは―。


北海道で生まれ育った。
21歳の時、札幌五輪の開会式を客席から見つめた。
今も仕事場を札幌と中標津町に構える佐々木さんは、
クロスカントリースキーを趣味としている。

「(距離女子30キロクラシカルで日本史上最高位となった)
石田正子の5位は、すごいこと。
NHKの中継で『取り上げてください』と言っていたのが印象的です。
ノルディックはフィギュアのように別世界の話ではなく、
自分がいる場所につながっているもの。
5位は、欧州では大変なことです。
取り上げてくれれば(競技を)続けられるという
彼女の言葉には『ああ、そうだよな』と」


開幕直後に日本勢がメダルを逸した
モーグル女子も、胸に残る。

「上村愛子や里谷多英が
コブの斜面をひざを全く離さない状態で滑り降りていくのは、
とても美しく見えるんです。
そして、空中に飛び出す面白さ。
こんなことをやっちゃう女の子がいるなんて、と思いますね。
私の若い頃は滑降、回転、大回転だけ。
このトシのスキーヤーにもね、これは面白いなと。
気持ちとしてはメダルメダルと言いたくないし、
取ればいいという思いすらない。もう十分にうまいから」


94年。
今大会の会場となったウィスラーで
中学2年の上村がモーグルと出会った頃、
佐々木さんも同じゲレンデを滑っていた。
異文化の中で暮らすことで作家としての
幅を広げようとしていた当時、
毎年冬の楽しみはスキー場に通うことだった。

「(モーグル会場の)サイプレスマウンテンの隣の
グラウスマウンテンに通ってアルペンスキーを滑ってました。
最初すごいパウダースノーなんだろうなあと期待していたら、
本当に滑らない雪質だった。
日本で言えば4月に降るようなザラメ状の雪で…」


上村と同じようにウィスラーの洗礼を受けたが、
バンクーバーという街を愛していた。

「普段は天気が悪いから、
天気の良い日は仕事を休んで屋外に出るという気分の街。
ビジネスはほどほどにやればいいじゃない?と。
そんなところもよかった。
1年の予定だったけど、4年も居てしまいました」



日韓両国にとって、一種の国民行事となった
フィギュアスケート女子の金妍兒(キム・ヨナ)と
浅田真央の対決を、佐々木さんはどのように見ていたのか。

「戦争でしたね。
両者を比較して共通点を挙げて採点方式を取り上げて。
でも、五輪を戦争にしたらまずいんじゃないかと思う。
キム・ヨナが国家を背負って滑るのは分かるけど、
日本側は『真央ちゃん、伸び伸びやってよ』
でよかったんじゃないかな。
(敗戦後のミックスゾーンで)ボロボロ泣いている
浅田真央にマイクを突き付けて答えを待つのは、
ちょっと痛々しかった。
控室で思い切り泣かせてやってくれと思うよね」


2人だけを比較する報道の姿勢にも違和感を覚えた。

「発言を聞いていてもキム・ヨナは浅田真央を意識しているけど、
浅田の場合はどうなんだろう。
むしろ安藤美姫(がライバル)だったんじゃないかと思う。
ライバルと意識していないかもしれないのに、
周りが仕立ててしまった」



どの世界でもライバルを意識し、競うことで成長する。
佐々木さんの作家人生も同じだ。

「ライバルの作家たちを、クリアしなければならない
目標にして駆けてきた。
若い頃、船戸与一さんに
『歴史観が浅い。歴史をどちらの視点から描くのか。
お前は時々混乱している』
と言われた。きつかったけど、
そのことを意識しないで書き出すことはなくなった」


デビュー31年目、59歳にして直木賞受賞。
授賞式の夜、祝ってくれたのは船戸与一、大沢在昌、
北方謙三、宮部みゆき、藤田宜永らライバルでもある作家仲間だった。

「あの人の、あの仕事をクリアしてやろうと思うのは、
きっとスポーツでも同じなんだろうね」



今大会、日本勢の金メダルはゼロ。
全選手が敗者ともいえる。
佐々木さんは、敗れ去った者たちに4年後への言葉を贈る。

「メダルメダルと騒ぐ外野は無視して、
自分を高めていけばいい。
メダルを取れなくて残念だと言えるのは本人だけなんだ、
と伝えたい」