BS世界のドキュメンタリーという番組がある。好きな番組です。


最近観たのは、

《マトリックスの衝撃ー仮想現実に覆われる社会-》


人間はコンピューターが生成した現実の中にいる。こんな言葉からはじまった。


コンピューターがここまて人間個人の脳になっていない時代、映画マトリックスが公開された。


映画館で観たのだが、さっぱり意味が解らなかった記憶がある。

コンピューターの中を描いているのだろう?位はわかった。😁


内容よりも、奇抜なアクションに魅了された。


スリムで精悍なキアヌリーブスを知った映画です。


今なら人類がマトリックスの世界のようになってしまうかもしれないと、予測出来るが、マトリックスが公開されたころは、まだまだコンピューターに人間が占領されるとは、凡人には想像できない。💥


人間の歴史は権力争いの歴史だと言える。


仮にその人間同士の権力争いがなくなっても、新たなる争いの相手はAI?


仮想現実と現実の違いを人はなにをもって見極めるのだろうか?


昔読んだ本で忘れられない認識がある。


本の文章は覚えていないが、

こんな感じのことが書かれていた。


《ここに、りんごがあるとしよう。そのりんごを見ている人は、りんごはある!と言う。

しかし、りんごを見落とした人はりんごはない!と言う》


さてどちらが正しいのでしょう?


その本は観念論の本だったから、人間が認識しないものは、ない!になると。


人間年を取ると、残るものは記憶だけという。


過ぎ去った過去は全て記憶という脳で管理される。


フラコ、バーチャルで経験したことが、現実のように認識が変わる経験をしたことがある。


宝塚にはまっていたころ、真矢みきさんの舞台を映像で何度も何度も観た。


するとその舞台が映像で観たのか、生で観たのか解らなくなったのだ。


だが、どちらが正しいかはわかるがね😁


真矢みきが宝塚を引退した後に、フラコが宝塚にはまったのをちゃんとまだ覚えているからだ。


番組ラストに年を重ねたキアヌ・リーブスの言葉。


《友人の子供がマトリックスを見ていないと言うからわたしはこう説明した。

仮想世界のようなところに住んでいる男が現実の存在に気づき、現実を確めたいと強く願うんだと。

するとその子は、

(どうして?誰が気にするの)と言う。

君は現実かどうか気にならないのかい?と聞くと(ならない)って》


この言葉の後ににエンディングが流れ番組は終了した。


キアヌ・リーブスが若いころの映画、

《リトルブッタ》をテレビで観たことがある。


ブッタの思想の中で生きたキアヌ・リーブスが、マトリックスではコンピューターの中で生きている。

この二つは繋がっている、と思った。