僕の年代だと料理の土井先生と言えばいまだに土井勝さんを思い出す。子供の頃テレビでよく見た独特の語り口と姿は今でも忘れ難い存在だ。土井勝さんのご子息が土井善晴さんで、同じく料理研究家であることはもちろん知っていたが、正直なところ、僕は土井善晴さんにはあまり興味はなかった。大変失礼だが、「親の七光り」のようなイメージを勝手に抱いていたからだ。
その土井(善晴)先生に興味を抱くようになったのは比較的最近になってからだ。きっかけは土井先生が出演するテレビ番組だ。料理に関する土井先生の話には凡庸なリポーターにはない確かな知識と確固たるスタンスが感じられた。また一方で大変知識があるにもかかわらず、それをひけらかしたり、あるいは自分の考えを押し付けるような態度がなく、そこにはユーモアと奥ゆかしい人柄が感じられた。そんなわけで、いつの間にか僕はテレビの土井先生のファンなっていた。
さて、土井先生のファンなどとと言ったが、実は先生のレシピ本は最近まで一つも持っていなかった。そもそもテレビで見るといっても、それは食リポやバラエティ番組で、肝心の土井先生の料理がいかなるものかも詳しく知らなかった。そこで思い立って買ったのが今回紹介する「土井家の一生もん2品献立」というわけだ。
この本の帯には家庭料理本のロングセラーと書いてある。初版は2004年だから、確かに古いし、写真の土井先生も若い。僕がこの本を選んだ理由は、やはり土井先生の料理の核心は「家庭料理」という括りの中にあると思ったからだ。このロングセラー本には土井勝さんから受け継ぐ、土井流家庭料理のエッセンスがあるように感じられたのだ。
この本の前書きには土井先生の家庭料理に対するスタンスが明確に語られている。
以前から不思議だったんですよ。「主菜」と「副菜」という考え方 -中略- そしたら栄養学的な見地なんだそうですね。「主菜」「大きなおかず」には、タンパク質が入っていないといけないらしい。でも、それは頭で考えた話。家庭料理はそんなんと違うんやないかな。ええ筍があったら、シンプルに煮て食べたい。それが「主菜」やと私は思う。
「主菜」と「副菜」が混ざったような料理が今は多いですね。肉も野菜も入った、例えば炒め物のような「ワンディッシュおかず」をひとつ作れば、食事の支度がラクだと考えるのでしょう。でも実はそういう料理は高度よね。材料が多くなれば火の通り方も違うわけで、そういう料理は本当は難しくなるんです。
濃いだしは、味付けも濃くしないと味のバランスがとれません。そういう料理、そういう味は、ハレの日にたまに食べるからこそおいしいもの。毎日では飽きてしまうし、胃が疲れてしまって、からだにもやさしくない。
「おいしい味」とは「きれいな味」だと私は思います。
土井先生は家庭料理は毎日食べる「あたりまえのもん」だとして、そのおいしい作り方を覚えることで、「一生もん」の料理の基礎が身につく、この本のレシピをそう位置付けている。家庭料理とは何かなどとは考えたことももちろんないが、料理というと、僕もついつい目先の変わったものを作る方向に走りがちで、基本的なことをなおざりにしている。さすがは土井先生だ。僕は前書きだけで、この本はいい本だと早くも納得した。
さて最初に登場するレシピは「豚肉のしょうが焼き」と「落とし卵のみそ汁」だ。このレシピはなかなか良い。土井先生のしょうが焼きのポイントは「まじめにつけない片栗粉」。片栗粉はチョンと薄くつける程度が重くならずにいいそうで、実際にレシピ通りに作ってみると確かにそのとおりだとわかる。そして僕が気付いたレシピのもう一つのポイントは焼いた豚肉をいったん取り出して脂をふき取り、その後でフライパンに戻して「たれ」と混ぜ合わせるという工程だ。これで肉の脂っぽさが確実に落ちて軽めになる。何れにしても、飽きのこない味の仕上がりは土井先生の言う家庭料理のセオリー通りで、僕はもう3回くらいこのレシピをリピートしている。
2品献立の相方「落し卵のみそ汁」は土井流の家庭だしをとることから始まる。この家庭だしは昆布とかつお節を中火弱で煮立てるだけのシンプルだけどオールマイティなだしで、実を言えば僕も日ごろから知らずに作っているだしだった。僕の場合は確か何かに書いてあるものを読んで作り始めたのだが、知らないうちに土井先生のレシピを実践していたようだ。この土井流家庭だしは後のレシピでも度々登場するが、作り方はいたって簡単、そして、このだしを使ったみそ汁を土井先生は「幸せの味がする」と評している。家庭だしはシンプルだけど「あたりまえ」なことに手を抜かない、土井家庭料理の基本ともいえる。
2品料理のレシピは「肉じゃが」と「かぶのあちゃら漬け」とか、「ぶりの照り焼き」と「ほうれんそうのごまあえ」とか、「かやくご飯」と「鮭のつけ焼き」とか、何れも馴染み深いメニューが続く。そして10番目に登場するのが「親子丼」と「わかめの味噌汁」だ。写真のキャプションには土井先生の世界を示すキーワードがちりばめられている。
とろとろ卵の親子丼。家族も自分も好きだから上手に作れたら、一番うれしい料理。上手に作れたら、一生作り続ける料理。
からく(しょっぱく)なく、薄くもなく。だしが重すぎず、さらりとした飲み口。毎日のみそ汁は、がんばりすぎない味がいい。普通でいて、しみじみとおいしい一杯を作りたい。
親子丼は僕も大好物である。しかし自分で作ると「ふわとろ」半熟卵のところがうまくいかない。土井先生流のコツはこうだ。「ひときわグツグツと煮立っているところがあるんです。そこをめがけて、溶き卵を菜箸にツツーッとつたわせて、たらす。キュッと止める。また鍋中をにらんでグツグツと煮立っている違う場所に菜箸でツツーッ・・・」
読むと理屈はよくわかるが、僕はまだ完全に会得はしていない。でもこのレシピを知って気分的には一段確実に親子丼が美味しくなった。
13品目は「ハンバーグ」と「じゃがいもと玉ねぎのサラダ」。ハンバーグもとてもポピュラーな家庭料理だが、このレシピにも土井先生流の美味しいヒントがいくつもある。例えばその一。みじん切りにした玉ねぎをフライパンで炒めて甘みを出しながら水分を抜くこと。その二。食パンを牛乳に浸して肉と混ぜ合わせる。これはたねを柔らかくする秘訣のようだ。その三。たねを丸めるときにサラダ油を両手にしかっり塗ってまとめていくこと。レシピに沿って僕も作ってみる。
土井先生は「うちのハンバーグが美味しい理由?きっと、たねの配合ではないかと思う。とても柔らかいたねです。手で持てないほどに。だから、まとめるときは手に油をたっぷりつける。」と書いている。この結果が写真にある表面の「てかてか」だ。
さて、焼く際には柔らかいので崩れぬように皿から滑らせるようにフライパンに入れる。片面に焼き色をが付いたらひっくり返し、ふたをして6-7分蒸し焼きにして完成だ。
土井先生のレシピではケチャップ、ウスターソース、赤ワインでソースを作るのだが、今回僕は少し自分でアレンジして自家製トマトソースと自家製サルナシジャム、そして赤ワインでオリジナルソースを作った。ハンバーグ自体はとても美味しいが、レストランや洋食屋とは違う、やはり基本的に家庭的な味だ。
このハンバーグのレシピに土井先生はこう添えている。「レストランで修業をした時代から、まかないなどでハンバーグを作って、私も山ほど失敗をしてきました。その経験があって、完成したレシピです。おいしくてあたりまえ、だよね。」
さりげなく書かれているが、土井先生にしてもいろいろ苦労されたり、修行されたりして今日があるのだ。ただ、こういうことを自慢げにくどくどと書いたり、話したりしないところが、土井先生の奥ゆかしいところで、僕はとても好感が持てる。
レシピは「オムライス」、「かきフライ」、「おでん」から「すき焼き」と定番料理が幅広く続く。何れもひと手間かけた工夫があって、手順を踏んで作ればとても美味しく仕上がる。そして、どのレシピにも本の前書きにあった土井流家庭料理の哲学が貫かれている。土井先生のレシピはファッションで言えばトラッドの魅力だ。目新しさはないが奥深い、そしてそれがいつしか新しくも感じられる。土井先生、やはり只者ではない。


















