僕はBBQのような肉料理を作るのが大好きだ。数キロもある塊肉を時間をかけて調理するのは、上質な大人の愉しみだと思う。最近は肉食ブームが続いているので、韓国風の焼肉や上等な和牛のすき焼きなどだけではなく、赤身肉を塊で調理するような、西洋風の肉食文化に則った本格的な肉料理もポピュラーになってきた。コロナ禍でのキャンプや野外料理ブームもこうした流れを後押ししている。

 

 さて、これは肉料理に限ったことではないのだが、最近は伝統的な調理法を見直し、科学的に分析した手法を用いてアプローチするやり方がポピュラーになっている。例えば、麺のゆで方や出汁のとり方等を、伝統的な手法にとらわれずに、分析や実験データをベースに見直していくものだ。こうした情報はTV 番組でも盛んに取り上げられるし、様々なメディアにも溢れている。もちろん、それらは理にかなって納得できるものが多いのだが、僕自身は伝統的なやり方にも表面には現れない様々な含蓄があるのではないかという思いがあり、簡単にそれを全面否定するつもりはない。

 

 

 

 

 肉料理に関しても、同様に科学的なアプローチが盛んだ。しかし、僕は肉料理に関してはこうしたアプローチに対して他の料理よりは肯定的だ。それは何故か。それは肉料理に関しては日本は後進国だという認識があるからだ。そもそも我々には肉料理の伝統というものが存在しない。それゆえに伝統に依拠することが困難で、経験的な知恵がない。であれば、むしろ初めから科学的な知見をベースにした方がわかりやすいと考えるからだ。

 

 さて、僕が肉の科学的な調理に関する本で最初に手にし、以来とても参考にし、今も折に触れて読み返しているのが今回紹介する「大人の肉ドリル」だ。著者は松浦達也さん。本の前書きには『本書では「家の肉を美味しくする」ために有効だと思われる論拠を学術論文や各種文献からひもといた。家庭の台所でも応用できそうな手法を徹底検証して、普遍的に使える要素を抽出して、レシピという形にまとめた。』(4p)と書かれている。

 

 

 

 この本の中では様々な肉料理のレシピが紹介されている。順番に言うと、先ずステーキやローストポーク等の塊肉、次いでおかず系のから揚げやしょうが焼き、その後は挽肉を使ったハンバーグやシュウマイ、そしてハムや肉の味噌漬けなどが「漬け物」として取り上げられ、最後の方ではパテ・ド・カンパーニュ等の手間のかかる料理を経て角煮やビーフシチューのような煮物で終わっている。

 

 各レシピは壱、弐、参のポイントが先ずトップに記され、次いで材料と作り方が紹介される。その後は各パートの後のコラムの中で作り方の背景が科学的な解説を交えて説明される。解説は何れも納得がいき、目からうろこ的な話も多い。ただ全体に言えるのだが、著者の松浦さんには押し付け的なところが全くなく、あくまでも客観的な記述が多い。いくつかのレシピでは基本レシピと異なるレシピも何種類か調理してそれらを比較している。この場合も、客観的にそれぞれのレシピの特徴が述べられていて、良い点悪い点の指摘はあるが、基本レシピが最高で他はダメというような記述は全くない。こうした松浦さん独特の科学的というか論理的な書き方が理系の端くれである僕にはとても好感が持てる。松浦さんは前書きでも『「味」には万人に通じる”正解”はない。だが、理屈がわかれば自分好みの方向へと味を自由に展開させることができるはずだ。』(4p)と書いているが、まさにこの通りのスタンスだ。

 

 では本のレシピに沿って料理を作ってみよう。最初は本書の中の最初のレシピであるビーフステーキだ。コラムには「おいしい肉」の法則として以下のような大原則が述べられている。

 

『つまり”うまさ”には一定の「やわらかさ」と「ジューシーさ」が深くかかわっている。そして「かたい←→やわらかい」「ジューシー←→ボソボソ」には、肉の温度が密接にかかわっている』(13p)、『超ざっくりいうと、肉は60℃を超えたあたりで水分が絞り出されて固くなるということだ。75℃まで温度を上げてしまうと、悲しいことに肉汁はほぼ肉の外へと流出してしまう。「肉汁に正しい定義はないが、一般に肉の内部の水分と脂分が液状化したものとされる。肉汁がほしいなら内部温度を60℃台にとどめなければならない。この法則はステーキ、焼肉、ポークチャップ、から揚げなど、煮込み料理以外の焼く、揚げるすべての肉料理に通じる。』(13-14p)

 

 肉好きならこのくらいは基礎知識として備わっているかもしれない。ただ実際にステーキの焼き方を本やネットで調べるとわかるが、百のものを読むと百通りのレシピがあると言っていいほど方法は千差万別だ。大抵のレシピでは「こうしなさい」ということは書いているが、「何故こうするか」についてはほとんど触れておらず、実を言えば長年僕も一体どれが正解なのか判然としないでいた。

 

 松浦さんのレシピでステーキを焼くポイントは1.肉の表面だけ、きっちり焼き上げる、2.温かい場所で休ませる、3.焼け具合はOKサインの固さで判断、という三つだ。これは先に挙げた大原則に基づいたものだ。そして実際に行う焼き方は「10秒焼いてて2分休ませる」を繰り返しという極めてシンプルなものになる。

 

 今回はちょっと珍しいアルゼンチン産の牛肩ロース250g2枚を野外で厚手のスキレットを使って調理した。鋳鉄製のスキレットは温度が下がりにくいので、僕はステーキを焼く時は室内でもいつも利用している。

 

 肉は先ず1時間以上前には冷蔵庫から出して室温に戻す。これはステーキを焼くときの基本的な鉄則だ。続いて肉に塩コショウをして熱したスキレットの上に乗せ各面を10秒ずつ焼いていく。本には表裏を焼くと書いてあるが、僕は肉がある程度厚い時は全表面を焼くことにしている。

 

 

 

 

 

 肉の各面を一巡して焼いたら皿に移して、温かい所で2分ほど休ませる。この暖かい所の大意は火の側でということで、基本的には肉を冷まさないようにするという意味だ。

 

 

2分経ったら再びスキレットに肉を移して同じように肉の各面を10秒焼き、再び皿に戻して2分休ませる。

 

 

これを数回繰り返していく。経験上250gくらいのステーキ肉だと大体5回くらいが適当な回数になる。これで通常は表面に焼き目が程よく付き中はミディアムレアに仕上がる。

 

 

 上の写真が今回の完成品。焼きと休憩を5回繰り返した結果だ。表面は所謂メイラード反応で程よく焦げ目が付き、肉の内部はミディアムレアという理想の状態になっている。この「10秒焼いて2分休む」という方法は誰でも失敗なく確実に美味しいステーキが焼ける素晴らしい方法だと思う。実際この方法を知って以来、僕のステーキはこれ一本だ。このレシピで僕の「大人の肉ドリル」に対する信用度は確定したと言ってもいい。

 

 

 次のレシピはビフカツだ。僕は生まれも育ちも北海道なのでビフカツというのは普段めったに口にすることがない。だがその美味しさにはとても惹かれている。

 

 それまでビフカツは揚げる加減がよくわからなかった。大人の肉ドリル風のポイントは1.火入れは余熱で。高温の二度揚げ、2.目の細かいパン粉でカロリーオフ、3.理想の厚さは2cm、というものだ。具体的には油で30秒上げて3分休ませるを2セット行う。結果は写真のように中がレアで口当たりが柔らかいビフカツが出来上がる。

 

 第三章では挽肉レシピが取り上げられる。ここでお薦めなのが肉シュウマイだ。シュウマイは餃子に比べるとどこかマイナーで、あまりレシピが取り上げられることがない料理だ。

 

 

 ポイントその1は肉と塩分で結着をよくすること。そのためにはよく練ることが秘訣で、これで食感が良くなる。ポイントその2は具材の玉ねぎと長ネギには粉(片栗粉)を振ること。これは旨味を含んだ水分を素材から逃さないため。その3は蒸す時は盛大な湯気は必要なく、弱めの火力で鍋の湯が沸騰さえしていればOKというもの。難しいことな何一つない。

 

 

 ひき肉で重要なのは特に1の結着のようだ。本文には『肉は低温で塩を加えて、しっかりとこねるとたんぱく質の組成が変わる。組織が強く結びつき(粘着)弾力ある食感が生まれる。大切なのは「新鮮な肉」「塩分」「低温」という3つの条件」』(71p)と書かれている。

 

 僕はこの本を読んで初めてシュウマイを手作りしたのだが、その後は中華せいろまで買って何度もリピートすることになった。

 

 

 

 冒頭で述べたように僕はBBQの大ファンで、海外のレシピを参考に塊肉を使った「スモーク」や「ロースト」をよく作っている。海外のレシピも日本と同様に「こうしなさい」とは書いているが、「何故か」はあまり書かれていない。肉食文化の伝統はあるにせよ科学的なアプローチに関しては海外も日本もそう変わりはないのかもしれない。「大人の肉レシピ」には肉調理に関する様々な疑問に答える知見が書かれていて、これを読むと一般的なレシピの背景も見えてくるようになる。肉料理の入門書として今も僕のお薦めの一冊である。

 

 

 

 

 

若い頃、禅寺での座禅研修というものを体験したことがある。グループで2泊3日寺に泊まり込み、作業(作務)をしたり、説法を聞いたり、座禅をしたりした。もちろん初めての体験で、それはそれなりに面白かったのだが、ちょっと閉口したのが食事の時の作法だった。禅寺では食事も修行だからいろいろと決まりがある。配膳のしきたりや食器の受け取り方、食べ方も音をたてないように厳しく指導される。つまりはゆっくりと飯が食えないのだ。これでは食事が美味しくなるはずがない。

 

そんなふうに3日間を過ごし最終日の昼食となった。いつも通りに無言で厳かに配膳が行われ、食事を頂く段となったのだが、普段はやかましい指導係の坊さんが声を改めてこういったのだ。「これは研修の最後の食事です。作法にこだわらずに、どうかゆくっりと召し上がってください。」

 

驚きながらも少しホッとして、寺に来て初めて膳の中身をゆくっりと眺めながら料理を頂いた。ちょうど初夏を過ぎて夏本番になる季節だったので、メインはナス料理だったと思う。変な話だが、料理の中身を詳しく覚えていないのに、その味だけは何故か今もしっかりと残っている。修行が終わった解放感を差し引いたとしても、それは「これが本当の精進料理」と感じ入る味であった。

 

精進料理を口にする機会は普段あまりない。何度か精進料理コースというものを料理屋で頂いたが、残念ながら、それはかって座禅研修で味わったような料理と違い、どちらかというと会席料理風の、見た目もしゃれた料理だった。一度京都の寺の宿坊に泊まった時に頂いた精進料理コースもやはり僕の求めているものではなかった。世に精進料理の看板はあるが、禅寺で食するような本物は少ない。そんな時に巡り合ったのが、藤井宗哲さんの一連の精進料理本だった。最初に買った本は確か農文協から出ていた「ファッショナブル精進料理」だったと思う。禅寺で食べたあの味が忘れられなかったのだ。

 

 

 

藤井宗哲さんは2006年に亡くなられている。先日テレビで知ったが、主宰されていた精進料理塾「不識庵」は今は奥様が継承されているようだ。宗哲さんは若い頃に寺で雲水修行をされていたが、本職の僧侶ではなく、その後は様々な職業を経て、最終的には文筆業と料理教室を営まれるようになったたようである。落語に造詣が深く、また僕も敬愛する池波正太郎さんのファンでもあったらしい。そういう方だから、レシピ本と言っても読み物的な面白さが随所にあり、肝心のレシピよりも、それにまつわるエピソードの方が記憶に残っていることが多いくらいだ。

 

本の表紙にもなっている正月膳の献立はこうだ。生揚げの煮染、里芋の甲州煮、れんこんのいとこ煮、黒豆の蜜漬け、ごぼうのごま酢あえ、干し椎茸の炒め煮、高野豆腐の煮染、人参・みつば・油揚げの柚香あえ、干し柿なます、さつま芋の抹茶きんとん、こんにゃくの炒め煮。これに里芋、大根、人参、こんにゃく、小松菜の清し仕立ての雑煮が加わる。どうだろう。僕はこの献立を見ると無性に日本酒の燗酒が飲みたくなる。いわゆる京料理などとも違う、地味にあふれた土着の日本の味がここにはあるように見える。

 

 

 

 

この本では季節の素材を活かした毎月の献立が12か月続く。言うまでもなく季節の味を楽しむことは精進料理の奥義の一つだ。料理の色は基本地味な、いわゆる茶色系が多いが、味は深く滋味に溢れている。僕がかって禅寺で食べた料理もまさにそういう感じのものであった。

 

宗哲さんは毎月の献立に、それにまつわるエピソードを添えている。これがなかなか面白く、それ自体が精進料理のように奥深いところがある。例えば12月の献立の一つ、「揚げ豆腐の茶わん蒸し」では宗哲さんが和歌山の寺で修業中のエピソードが記されている。その寺の老師を突然訪ねてきた老師の旧友に何を出そうかと思案した若き宗哲さん、やや功名心にかられて普段よりも手の込んだ料理を供したのだが、その出来が良くなかった。そこに老師の戒めの言葉が続く。

 

「なんじゃこれは?」今までのニコニコ顔が、途端にしょっぱくなった。「料理人の真似をしようとするからじゃ。雲水料理でええんじゃ」客人の前で小言をちょうだいしたことである。後日、「昔から名典座と言われた男に、大成した者はおらん。そういわれたもんじゃ。じゃがのう、わしはそうは思うておらん。そういう連中は典座に成り切れんと、料理人ぶろうとする。典座は包丁を握る、これを筆じゃと思え。また板は半紙じゃ。つまり、天地の経を移すという心がけが大切じゃ。二宮尊徳翁に、”音もなく香もなく常に天地は書かざる経を繰り返しつつ読めり”と、ある。よう、味わうんじゃな」ご垂誡をちょうだいした。

 

 

 

 

宗哲さんの精進料理は伝統一筋というわけではない。むしろアスパラやアボガドなどという西洋野菜もどんどんレシピに取り入れている。つまり、重視すべきは素材を活かし切るという精神の部分で、決して料理の見た目や形式だけをなぞっているものではないのだ。このあたりが宗哲流精進料理の魅力だと思う。レシピにまつわるエピソードが記憶に残るのも、一つ一つのレシピに血が通っている証拠だ。

 

本のレシピからいくつか料理を作ってみた。精進料理には乾物がよく使われるが、まずは乾物の代表である、干し椎茸のを使った炒め煮だ。これは一月の献立にある。精進料理では魚のだしは用いない。従って昆布と椎茸が重用される。水で戻した干し椎茸(どんこ)の軸を切って石突きを取る。この軸も捨てずに使うのが精進料理だと宗哲さんは繰り返している。その使い方はこうだ。

 

さて、先の軸であるが、爪でタテに何本かにほぐして天日に干して、カラカラにさせる。タッパーに乾燥剤を入れて、たっぷり集まれば、揚げ物のついでに素揚げにする。ちょいと塩をまぶして箸休めに、または、汁物の浮かしに最適である

 

干し椎茸の戻し方にも宗哲流があり、最低2日間は天日で干しなおす。これで香りが「数層倍」蘇るとのことだ。ちなみに今回は普通に3時間程度水に漬けただけなのでお許しを願いたい。炒め煮そのものは簡単である。

 

フライパンにごま油を、心持ち多めに入れて、熱したところに椎茸を入れて二、三度裏返してから味付けをする。味加減だが、しょうゆ六、みりん四の割合がわが庵の基本としている。

 

 

次は同じ一月の献立から精進料理の定番の一つ、高野豆腐を使った煮染だ。宗哲さんは一般的な高野豆腐の煮染について「味は甘ったるく濃い。またそれを良しと思っておられるようだ。どうもいただいた、後口がすっきりしない。」と不満を述べられている。宗哲流は先ず大鍋いっぱいに昆布を敷き、お湯で戻した高野豆腐をその昆布の上に並べる。それから、塩、みりん、香りづけにしょうゆを加える。徹底した弱火で、時間をかける。これは高野豆腐を煮るコツだという。椎茸も高野豆腐も甘さが抑えられていて、そこが例えば西日本の、ちょっと甘めの日本酒の燗酒なんかに合うと僕は思う。日本酒と精進料理はとても相性がいい。それは宗哲さんもこの本のエピソードの中で書いている。

 

 

 

 

次は夏の盛りの八月の献立から「なすの納豆あえ」を作ってみた。宗哲さんには「禅味納豆料理」という著作があり、納豆料理は得意分野だ。八月はキュウリ、トマトのような夏野菜の最盛期だ。本のエピソードでは寺で修業時代の宗哲さんが、ご近所から毎日大量のなすやトマトを頂いて、その料理の工夫に四苦八苦するエピソードが添えられている。乾物は精進料理に欠かせない大事な素材だが、一方なすやキュウリ、トマトのような夏野菜は精進料理に季節の色を添える華と言えるかもしれない。冒頭述べた僕の思い出の精進料理もなすをはじめとする夏野菜だった。

 

なすは先ず焼くか蒸して皮をむく。今回は蒸してみた。それを細かく裂いて辛子しょうゆとごま油をふりかけてなじませる。これはあくまでも軽くだ。ごまやごま油は精進料理の味を広げる貴重な戦力だ。これで料理にコクが加わる。納豆はシソの葉と混ぜてたたき合わせてなすの上に乗せる。

 

 

最後の料理は九月の献立から「けんちん汁」を選んだ。僕は実はけんちん汁が大好きで普段もよく作るのだが、今回は宗哲流の精進料理色が強いものだ。先ず、れんこん、ごぼう、人参、大根、里芋を2センチほどの乱切りにする。これは普通よりやや大振りで厚い。これは宗哲さんの修業先であった寺での代々の仕切りだそうだ。他にはこんにゃくと干し椎茸。これら根野菜と干し椎茸から出る旨味がそのまま出汁になっている。次に、ごま油で材料を固いものから順に炒めていき、そこに隠し味程度に少ししょうゆを加えて味をからませる。土としょうゆが醸し出す独特の風味が漂う。これがいい。椎茸の戻し汁を加えてさらに煮込み、頃合いを見て木綿豆腐を揉みつぶしながら入れる。最後にしょうゆで味を調え、小松菜を散らせば完成だ。

 

 

僕は山育ちなので土の風味がする料理が基本的に大好きだ。旅行番組でも、例えば会津とか海から離れた土地の山菜やキノコの料理などには妙に親近感がわく。けんちん汁が好きなのも多分そのせいで、ここに熱燗でもあれば、料理はこれだけでもよいくらいだ(漬物があればなおよい)。

 

宗哲さんのレシピに沿って料理を作ると、精進料理が何となく見えてくる。それは先ず自然に則り季節の旬を料理するということだ。今は旬という感覚が失われつつあるが、精進料理は出汁や調味料が控えめなだけに旬の素材が持つ力をストレートに味わい知ることができる。

 

さらに重要なのは素材の特性を最大限活かすという考え方だろう。精進料理では素材の味を引き出すことに、とことんこだわる。これは宗哲さんが本の中でも常に強調していることだ。個々の素材の味を最大限に活かし、最後はそれらを一つの味にまとめ上げる。これは料理に留まらず、我々の普段の仕事や日常生活にも通じる奥深いテーマである。膳は禅なりだ。

 

ところで、この本のレシピには材料や調味料の具体的な分量が示されていない。それは素材と接し、自ら試行錯誤しながら会得してゆくものだということらしい。そこがまた精進料理らしい。

 

 

 

 

 

 

 

グルメという言葉が一般的になったのはいつ頃からだろう。少なくとも僕の子供時代にはあまり聞いた記憶がない。僕がグルメと言う言葉を知った確かな記憶があるのは、開高健が書いていた、食材の味を極めるには徹底的に食べること、すなわちグルメはグルマンであらねばならぬ云々という文書だ。ここで僕は初めてグルメとかグルマンという言葉を知った。ただグルメという言葉の意味は開高健が書いた当時と今では同じようでも少々違ってきてきているようにも感じる。

 

 さて僕が今回このブログの最初に取り上げる料理レシピ本は、西川治著「私が食べた朝食365日」(小学館文庫)だ。

 

 

 この本はカメラマンであり、料理研究家であり、エッセイストでもある西川治さんの著作だ。有名人による料理・グルメ本は今では巷に溢れているが、西川さんはこうした有名人の料理本の先駆けであり、しかも、その料理に対する見識やこだわり、審美眼ともいうべき世界は今なお独特の光を放っている。僕は料理に関しては完全に西川治ワールドの大ファンなのだ。

 

 数ある西川さんのレシピ本の中でも、僕が最も好きで、繰り返し読んでいる本がこの「私が食べた朝食365日」だ。そもそも、この本はレシピ本と呼んでいいのかわからない。これは西川さんがタイトル通り、365日の自身の朝食を記録したものだ。全ての料理にレシピが添えられているわけではなく、ほとんどはメニューの記述のみである。その間に毎日の行動や雑感が日記風に綴られている。永井荷風の「断腸亭日常」や、正岡子規の「仰臥漫録」のような趣もある。僕の本棚にあるのは小学館文庫になったものだが、単行本はマガジンハウスから「朝食365日」として1993年に刊行されている。僕が最初に読んだのもマガジンハウス版の方で、確か図書館で借りてきたものだった。

 

 この本が面白いのは朝食という括りを用いたことだと思う。朝食というのは地味だが魅力的である。実は僕自身、一日三食のなかでは朝食が最も好きだ。三食とも朝食でもいいと思うほどだ。この本のまえがきの中で西川さんは「食生活のなかで朝食にもっとも日本の食事のよき部分が残っているような気がするのは僕だけだろうか。朝食がもっとも美しい。」と書いている。全く同感である。あえて付け加えれば、朝食は余計な装飾を除いた、より本質的なものを具現化しているのだと僕は思う。日本だけでなく世界中の朝食が魅力的である。それはその国の文化や風土がシンプルに表れるのが朝食だからであろう。西川さんには「世界朝食紀行」という著作もあるが、こちらは朝食にスポットを当てた、とてもユニークな旅エッセイであり、また比較文化の本となっている。

 

 

 

  さて、「私が食べた朝食365日」のメニューを覗いてみよう。朝食と言いながら鰻あり、ステーキありと多彩なのだが、基本はご飯と味噌汁を基調とした日本の朝食だ。例えば8月15日のメニューは、明太子と茗荷と紫蘇の和え物、鰯の生姜煮、大根の煮物、味噌汁(豆腐、油揚げ、椎茸、小松菜)、胡瓜の漬物。8月28日はメザシ、帆立と浅つきのオムレツ、大根ととろろ芋の千切り、、豆腐の味噌汁,酸茎の漬物。この日はメニューに加えて料理が上手になるコツについても書かれている。「毎朝、卵二個のプレーンオムレツを作ること、(中略)卵は繊細な素材である。わずかな塩加減を間違うととても辛くて食べられない。火の強弱を間違えるととても食べられたものでなくなる。料理の手順。調理のスピード感覚。見た目のオムレツの状況(色、艶)判断。オムレツを何度か作るうちにコツを肌で感じるようになる。」

 

 12月12日。この日の朝食は二日酔いの胃にやさしい、牡蠣雑炊で、以下のレシピが添えられている。「ご飯は洗っておき、土鍋にだし汁を入れ、醤油で味をつける。椎茸の細切り、御飯を入れて一度沸騰したら牡蠣を入れゆっくりとかきまぜる。小口切りにした葱を散らす。三つ葉やもみ海苔を散らしてもうまい。」西川さんのレシピは簡潔明瞭で無駄がないが、要点は漏れなく整理されている。

 さて、このブログは読んで作るをテーマにしているので、実際に本のレシピに沿って調理をしてみよう。今回の料理はスジ肉煮だ。西川ファンはよく知っているはずだが、スジ肉は西川さんの料理本には度々出てくる定番メニューで、「男の料理すじ肉」などという丸ごとスジ肉のレシピ本まである。

 

 

 

 

 レシピに沿って進める。「まず大きな鍋に熱湯を煮立たせ、その中に牛のスジ肉を入れ、十五分くらい煮る。それから鍋のまま湯沸かし器の湯をザァーと注ぎ、全ての牛スジ肉をよく洗う。スジ肉に付着している血や、脂などのアクをきれいに流してしまう。これを丁寧にすることがスジ肉を上手く調理するコツ。」

 

 

 

 僕はこの本を読むまでスジ肉料理というのを作ったことがなかったのだが、この下処理がスジ肉料理のほとんど全てと言っても過言ではない。「その作業が終わったら、大きなスジ肉をやや大きめかなとおもえるほどに切る。次に生姜を叩き潰す。大きな鍋に切ったスジ肉を再び入れ、焼酎をダブダブと注ぐ。しばらく焼酎が半分くらいになるまで煮る。水を肉の上にかぶるくらいに注ぐ。生姜を入れる。強火でドンドン煮る。アクがブクブクと浮いてくる。これも丁寧に掬う。それから二、三時間(これはスジ肉の質によって時間が異なる)煮る。たぶん水が少なくなり、あれほどゴワゴワしていたスジ肉が柔らかくなる。もちろん、途中で水はたした方がいい。」これにて下処理の完成である。この後いろいろな料理へとアレンジしていくのだが、最初はシンプルに生姜と葱と醤油で頂く。これが絶品で、このためにだけスジ肉を煮ても価値があると思う。また焼酎にはことのほか合う。

 

 

  「普段なら、まず、その日は生姜汁と醤油、葱の小口をたっぷりのせて、酒の肴にする。つぎは肉の半分に醤油と砂糖、葱をたっぷり入れて三十分ほど煮る。これに焼き豆腐を入れ牛丼にする。焼き豆腐を入れていないのはうどんに入れ、うどんの煮込みにしてもよい。味のつけていないのは半分はカレーやグラーシュやハヤシにする。どちらにもたっぷりの玉葱をスライスし、ゆっくりと焦茶色になるまで炒め、一緒に煮る。カレーにはカレー粉を、グラーシュにはパプリカを入れる。あるいはジャガイモと煮る。ほかの野菜とも。とにかくどんな料理にも応用が利くから、たっぷり作っておいた方がいい。」

 

 

 

 僕が今回作ったスジ肉料理はシンプルな煮込みたが、しっかりと下処理をしたスジ肉はどんな料理にしても美味しい。西川さんのスジ肉好きは文章からも十二分に伝わってくるが、同時に感じるのは西川料理レシピが持つ幅の広さだ。スジ煮込みやカレーくらいまでは出てきてもグラーシュまではなかなかたどり着けない。この幅と奥行きの広さこそが西川料理レシピ本の最大の魅力である。そこには少し以前の日本の伝統的な食があり、また第二次大戦後に急速に変化した現代日本の食もある。また西川さんの豊富な海外経験に裏打ちされた、洋の東西を網羅したボーダレスな食もある。「私が食べた朝食365日」には、このような西川ワールドのエッセンスが凝縮されている。