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実際にお目にかかれる方と、しっかりと強いご縁を築かせていただいて
そして
お客様の業務の拡大に向けて、一緒に歩みながら
お力添えさせて頂いております。
また、
私の記事を読んでくださって
弊社の業務内容にご興味を持ってくださった方は、
遠慮なくご連絡ください。
(メッセージは携帯に転送されますので
社内にいる場合は、直ぐにお返事差し上げられます。)
弊社が得意なWeb開発関連
自治体様向け ポータルサイト
病院関係様向け ポータルサイト
EDC(臨床研究データ集約システム)
企業様向け CRMソリューション
(Webサイトとデーターベースの連携)
企業様向けCMSソリューション
(Webコンテンツ更新システムEasyWebUpの導入)
個人事業主様 Webサイト構築 アメブロデザイン
弊社が得意なインフラ構築・保守開発関連
会社設立時のインフラ導入
(PC機器の導入・設置・セキュリティー設定・LAN配線)
VPN接続
(本社と支社間 ・ 日本と海外など)
Active Directory設定
ファイアーウォール
データセンター
弊社が得意なITコンサルティング業務
システム開発における仕様書・見積書・ご予算などの判断支援
インフラ構築におけるセキュリティ判断
プロジェクトマネージメント支援
PMBOKに基づくプロジェクトマネージメント社内教育
など
ITに関わる疑問・不安など遠慮なくご相談ください。
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弊社が得意な業務内容
申し訳ありません。こちらのブログでは、
記事内容の特性から会社名などを公開しておりません。
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弊社が得意なITコンサルティング業務
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私のプロフィール詳細記事へ
起業までの道のり
怒濤の介護生活
弊社が得意な業務内容
起業まで
起業までの道のりと書きましたが。。。。
本来ならば、社長の起業ヒストリーを書くのが良いのですが、
ここでは、私サイドのヒストリーを綴っております。
社長の起業ヒストリーは、リアルでお聞きください。
大まかな私の歩み:
某メーカーに勤めていた叔父の影響でパソコンを購入してから、
パソコン通信(ニフティサーブ)で、
真っ黒い画面に白い文字のコマンドを覚える事にハマり、
ニフティマネージャー(パソコン通信用メールソフト)の画面に感動し、
インターネットが出始めた頃、地元のインターネットプロバイダーに就職。
(そこでは、主にヘルプデスクとデータベース管理をしていました。)
そして、SOHOが流行りだした頃、
自宅でWeb開発のアルバイトをしたり、PCインストラクターなども始めました。
この頃はまだブログなんて物がなかったので、
「自分でホームページを作る」のが流行っていましたねぇ。
フリーCGIで、掲示板やチャットを立てたり、
「JAVAで画像を動かす」と言うのも。
そして、底なし沼のようにハマってしまったものがもう一つ。
Microsoftの資格試験(MOT Microsoft Official Trainer)
MOT95を受験するもコトゴトク失敗・・・・・・
しかし、意地で取得
この頃のMOT試験は、ひとつの試験に5科目あり、
20人受験中、午前中の2つの筆記試験を合格したのが、たったの2人
午後からは、オペレーション ・ インストラクション ・ デモンストレーションと、
全ての試験に合格しないとNGで、非常に合格率の低い試験でした。
特に筆記試験に引っかけ問題が多く、Excel Word OSの画面一つ一つ、
メニューの全てを覚える必要があり、
作った私のノートは、ダイアログボックス全て印刷して貼り付けています。
それを何度も読み返して覚えました。
会社から戻って、Webのアルバイトをして、その後夜中の3時まで勉強。
1日の睡眠時間が平均3時間半。。。
よくこんな生活続けたと思います。。。
お陰で入院してしまう羽目に。。。
夜中に腹痛をおこし、自分で車を運転して救急病院に行くも、そのまま入院。
両親が病院に到着した時、私が運転した車は、
病院の玄関前に、斜めに停めていたらしいです。
半分意識が無かったのか?
その1週間前に受講していたMOT試験には、無事に合格。
MOTに合格してからは、PCインストラクターのアルバイトが急激に増えました。
某保険会社の部長様のお席にお邪魔して、メールソフトの使い方のご説明。
行政書士の先生方に、ホームページ作成講座を開講。
などなど。
そして、
その半年後、Webのアルバイトでお世話になっていた
今のだんな様と結婚し、
個人事業主と言う立場ながら、
某大手企業様と直接お取引をさせていただいていた主人の仕事を
本格的に手伝うようになりました。
一番最初に担当させてもらったのは、
「データベース制作」
Accessでデータベースを作成するのは全く問題なかったのですが、
がくがくに緊張したのは、お客様に使い方をご説明する時・・・・・・・。
何せ、
東京のそんな大きな企業様の会社になんて行った事が無かった私。
「私が失敗すると、主人に迷惑がかかる」と、
極度に緊張して、喋りがメタメタに。。。
(この時のお客様は、今でもお世話になっています。)
それから、
企業様にお邪魔をして、MacintoshのExcel Wordの新人研修などを行い。
インフラ構築をさせていただいているお客様の
サポートデスクなどをさせて頂いていました。
(現在、サポートデスクは専門スタッフが行い、私は卒業 )
ファイアーウォール・VPN・・・・ActiveDirectory
もぉ私の手には負えませぬ。
現在は、
インフラ構築部隊2名と開発チーム2名の優秀で頼りになるスタッフ達と
全身全霊お仕事をさせて頂いています。
会社を法人化に:
結婚して約半年間は、自宅マンションで事業を行っていた訳ですが、
インフラ構築部門の業務が大きくなり、
「事業を有限会社にしようか。」と悩んでいた主人に、
「自分に投資してみたら?」と背中を押しました。
その頃はまだ「1円株式」が無かった時代だったため、
1千万の自己資本を準備し無事に株式会社に。
(ひとつの賭けだったのですが、結果的に良かったと思います)
そして、
以前に、アルバイトで何度か手伝ってくれていたI君を会社に呼び、
開発系のスタッフを1名雇い、事務所を準備しました。
それから、
マンションを引き払って、主人の実家に同居を始めました。
家事のほとんどを、お義母さんが行ってくれたお陰で、
随分と仕事に専念できました。
と、思っていたら、3年後。
お義父さんが脳梗塞で倒れました。
怒涛の介護生活
義父倒れる:
ある日、
主人と帰宅すると、お義父さんが「右手に力が出ない。」と言って、様子が変。
急いで病院に連れていくと、直ぐに入院となりました。
入院1週間後、義父は頸動脈に出来ていた血栓が脳に飛び、
今度は、大きな脳梗塞を発症してしまいました。
(その頃、脳梗塞の知識が全くなかったのが悔やまれます。。)
脳圧があがり、このまま脳圧が下がらなければ命の危険があると宣告され、
何をどうすれば良いのか判らないまま、親戚中を呼び、
バタバタと様々な事を、こなしたように思います。
意識が戻ってから1週間で、
直ぐにリハビリ病院を手配し、義母と一緒に、手続きと面接に行き、
本人面接も無事に合格して、無事にリハビリ病院に転院でき、
それから、4ヶ月間毎朝、義母をリハビリ病院に連れて行き、
主人の朝ごはんを作り、会社に行く。と言う生活を続けました。
(自分で良く続いたと思います。)
リハビリ病院を退院するのと同じタイミングで、
義母の腰と足が悲鳴を上げ、
義母の足の手術がいつの間にか決まっていました。
(後で、母は手術をした事を後悔したのですが、痛みが続くよりは良いので。)
リハビリ病院のソーシャルワーカーからは、
義父の在宅介護は「非常に厳しい。」からと、施設への転院をすすめれられたのですが、
義母の希望もあって、在宅介護に決め、自宅の改築を行いました。
車いすが移動できるように床張りに、トイレの改装、玄関の段差、
お風呂の手すりなど。
そして義父が退院するまでには、改築工事が終わるのは間に合わないので、
一時的に、義父を預かってくれる施設を探していました。
何軒も何軒も、血眼になって捜しました。
リハビリ病院にも、無理を言って少し長めにおいて頂いていたものの、
もう、限界に達したらしく
もう次の方たちの入院が押しているので、
ある日の月曜日、今度の水曜日には退院してください。と。宣告が。。。
もう、どうしようも無い。。。。
と、途方に暮れていると、その日の午後、施設から
「受け入れOK」のご連絡を頂きました。
義母は入院中。
家は、改装中。
そんなところに義父を戻すわけにいかず、
一時的に預かってくれるようになった施設には、
本当に、感謝感謝でした。
もう、綱渡りのような過酷な状況です。
それよりも、過酷だったのは、父の在宅介護が始まってからです。
怒涛の介護生活:
この頃の状況は、介護ブログにも。。。
(URLは内緒)
義父の梗塞は、脳の左側。
右半身麻痺、言語障害、感情失禁などの症状がありました。
(現在は、感情失禁の症状は、ほとんど無くなりとても良い状態です。)
右側の自由が利かないので、始めのうちは、一人で倒れる事があって、
1階で寝ている義父の物音がする度、
心臓を爆発させるような思いで、階段を駆け下りる事が何度もありました。
「転んでいないか?けがをしていないか?」
急いで父の部屋に駆け込みます。
そして、抱きかかえるようにして入れたお風呂。
なるべくトイレを使いたい父に、車いすから便座への移動、
夜のおむつ交換。
一番精神的にきつかったのは、
一生懸命やっていても、全く理解していない人の言動。。
どんな風にこの時期を切り抜けてきたのか。。。
施設にお願いするようになった経緯:
義父は今、介護老人保健施設(老健さん)にお世話になっています。
在宅介護を諦め、こちらにお世話になるようになったきっかけは、
嚥下障害(食べ物を飲み込む時にうまく出来ない)があった義父は、
肺炎を繰り返すようになってしまったためです。。
肺炎で熱が出る → 義父を病院に連れて行く → 入院 → 熱が下がり退院
と言う状況が、何度も続き、
義父の命を自分の手のひらで握っているような感覚に襲われ、
とても怖かったのを覚えています。
医者からは、胃ろう(胃に穴をあけ、栄養を送る)を勧められたのですが、
家族はそれを拒否し、施設でお世話になる方法を選んでみました。
それが結果的に良かったようで、
今では、義父は水分をとるときに、
とろみをつけなくても良い程に回復しました。
引っ越し:
三男の私たちは、もともと家を継ぐために実家に入ったのではなかった事と、
二男兄さんが、家を継ぎたいと言う思いもあって、
また、義父の方も落ち着いた事もあり、私たち夫婦は実家を出ました。
介護は、本当に過酷です。
それは、想像以上に。
体力的に、精神的に、時間的に、
常に、全力でつっぱり過ぎる私に、主人は、いつも、
「バランスが大事だぞ。」と言ってくれていました。
義父ばかりに重心が行かないように、
義母の事、主人の事、仕事の事、少しずつバランスを取りながらやりなさい。と、
それが、何とか乗り切れた理由のひとつだと思います。
やっと、様々な事が落ち着いて、
今は、仕事の事、会社の事、余裕を持って出来るようになってきた所です。
さぁ。
これから更に顔晴りますよぉ。