「なんて、やさしい顔を
した人なんやろうねえ」
ある日、母がテレビの前で
しみじみとつぶやいていた。
画面に映っていたのは
50歳を迎えようとしていた
福山雅治だった。
「年齢と共に、穏やかな
表情になっていくね」
私のイケメン好きは
やっぱり遺伝なのだろうかと
思いながら、母の隣に座り
しばしフクヤマを二人で“鑑賞”した。
「新しい映画も上映されるよ」
*リンクは予告動画、音が出ますのでご注意を
と伝える私に、最後に映画館で
映画を観たのはいつだったか
思い出せないと笑う母だった。
連れて行ってあげられなかったのが
今も小さな胸の痛みとして残っている。
母とフクヤマと言えば
思い出の一つが、こちら。
↓
わ、若いっ!10年以上前だもんねえ…
フクヤマが、大河ドラマ「龍馬伝」に
出演していた当時の雑誌。
ある日、仕事を終えて帰宅すると
「今日も遅くまでお疲れ様、
はい、プレゼント♪」
といって差し出してくれた。
スーパーの本売場で
たまたま目に入ったので
少しでも仕事の応援と癒しに
なればと思ったと言う。
この頃は、日曜の夜にリアルタイムで
「龍馬伝」を観るのが、我が家の
ルールのようになっていた。
またある時は
「はい、臨時収入」と封筒を差し出し
「この間話してた、新しいCDを買ったら?」
と、お小遣いをくれた。
事務所の運転資金を回すだけで
精いっぱいだった当時、
自分に遣えるお金がなかったことも
お見通しだったのだ。
数え上げればきりがないほど
母とフクヤマにまつわる思い出は
たくさんある。
福山さん、福山さんと
まるで職場の上司のように
呼んでいた母だったが
次第に、母の口から彼の名前が
呼ばれる機会は減り、
二人でテレビを観ては
「かっこいい~♪」と
笑い合うこともなくなっていった。
昨秋、母の葬儀を終えた翌日、
ようやく一息ついた時
ふと見た時計の針は
彼のラジオ番組の放送時間。
久しぶりに、リアルタイムで
聴こうかとスイッチを入れると
オープニングに流れてきたのは
「道標」だった。
この曲は、フクヤマが亡き祖母を
想ってつくった楽曲で
「命」をテーマにした名曲。
あまりにもタイムリーで
涙が止まらなかった。
さらに、そんな「奇跡」がもう一回、
(そう、私にとって、これは奇跡だった!)
年末の紅白歌合戦でも起こった。
母の最期を看取ってやれなかった
罪悪感と申し訳なさで、
気持ちが落ち込む日を過ごしていた私に
12月31日のお昼、
友だちからのメッセージが届いた。
「母親はいつだって
子どもの幸せしか願ってないよ」
ほんの少し、心が軽くなったその夜、
紅白歌合戦の大トリで、フクヤマが
歌ったのは「桜坂」。
歌い出し、知ってますか?
「君よずっと幸せに」
それはまるで、母が「福山さん」に
お願いして、届けてくれた
メッセージのようだった。
そして気が付いた。
母の推し活はフクヤマじゃなかったんだ。
母が推し活をしていた相手は
「私」だったのだ。
今、私にとって「桜坂」は
母からの応援歌になった。
母と私をつないでくれる
大切な「推し」フクヤマに
心からありがとう。