「なんて、やさしい顔を

した人なんやろうねえ」

 

 

ある日、母がテレビの前で

しみじみとつぶやいていた。

 

 

画面に映っていたのは

50歳を迎えようとしていた

福山雅治だった。

 

 

「年齢と共に、穏やかな

表情になっていくね」

 

 

私のイケメン好きは

やっぱり遺伝なのだろうかと

思いながら、母の隣に座り

しばしフクヤマを二人で“鑑賞”した。

 

 

「新しい映画も上映されるよ」

(「マチネの終わりに」2019年)

*リンクは予告動画、音が出ますのでご注意を

 

 

と伝える私に、最後に映画館で

映画を観たのはいつだったか

思い出せないと笑う母だった。

 

 

連れて行ってあげられなかったのが

今も小さな胸の痛みとして残っている。

 

 

母とフクヤマと言えば

思い出の一つが、こちら。

わ、若いっ!10年以上前だもんねえ…

 

 

フクヤマが、大河ドラマ「龍馬伝」に

出演していた当時の雑誌。

 

 

ある日、仕事を終えて帰宅すると

「今日も遅くまでお疲れ様、

はい、プレゼント♪」

といって差し出してくれた。

 

 

スーパーの本売場で

たまたま目に入ったので

少しでも仕事の応援と癒しに

なればと思ったと言う。

 

 

この頃は、日曜の夜にリアルタイムで

「龍馬伝」を観るのが、我が家の

ルールのようになっていた。

 

 

またある時は

「はい、臨時収入」と封筒を差し出し

「この間話してた、新しいCDを買ったら?」

と、お小遣いをくれた。

 

 

事務所の運転資金を回すだけで

精いっぱいだった当時、

自分に遣えるお金がなかったことも

お見通しだったのだ。

 

 

数え上げればきりがないほど

母とフクヤマにまつわる思い出は

たくさんある。

 

 

 

 

福山さん、福山さんと

まるで職場の上司のように

呼んでいた母だったが

 

 

次第に、母の口から彼の名前が

呼ばれる機会は減り、

二人でテレビを観ては

「かっこいい~♪」と

笑い合うこともなくなっていった。

 

 

昨秋、母の葬儀を終えた翌日、

ようやく一息ついた時

ふと見た時計の針は

彼のラジオ番組の放送時間。

 

 

久しぶりに、リアルタイムで

聴こうかとスイッチを入れると

オープニングに流れてきたのは

「道標」だった。

 

 

この曲は、フクヤマが亡き祖母を

想ってつくった楽曲で

「命」をテーマにした名曲。

➡歌詞はこちらからどうぞ

 

 

あまりにもタイムリーで

涙が止まらなかった。

 

 

さらに、そんな「奇跡」がもう一回、

(そう、私にとって、これは奇跡だった!)

年末の紅白歌合戦でも起こった。

 

 

母の最期を看取ってやれなかった

罪悪感と申し訳なさで、

気持ちが落ち込む日を過ごしていた私に

 

 

12月31日のお昼、

友だちからのメッセージが届いた。

 

 

「母親はいつだって

子どもの幸せしか願ってないよ」

 

 

ほんの少し、心が軽くなったその夜、

紅白歌合戦の大トリで、フクヤマが

歌ったのは「桜坂」。

 

 

歌い出し、知ってますか?

 

 

「君よずっと幸せに」

 

 

 

 

それはまるで、母が「福山さん」に

お願いして、届けてくれた

メッセージのようだった。

 

 

そして気が付いた。

 

 

母の推し活はフクヤマじゃなかったんだ。

 

 

母が推し活をしていた相手は

「私」だったのだ。

 

 

今、私にとって「桜坂」は

母からの応援歌になった。

 

 

母と私をつないでくれる

大切な「推し」フクヤマに

心からありがとう。