Ro til Tro - 信仰によってもたらされる平安 | いまのしゅんかん

Ro til Tro - 信仰によってもたらされる平安

 

わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐みのゆえにたたえるようになるためです。

「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう。」

と書いてあるとおりです。また、

「異邦人よ、主の民と共に喜べ」

と言われ、更に、

「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」

と言われています。また、イザヤはこう言っています。

「エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」

希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。

(ローマ 15:8-13)

 

月曜日の夜、オンラインでの聖書の学びで、パウロが旧約聖書の聖句から、異邦人も神を崇め、異邦人キリスト者も聖霊の力によって希望にあふれるようになったと解釈し(実際には、「異邦人」と書いているわけではなく、「国々」「全ての民」と書いてあって、パウロはそれらを異邦人と解釈した)、その祈りをローマのキリスト者宛の手紙に書いたことについて学んだ。

 

伝道に興味を持っている一人は、その恵みを未信者にも伝えたいといつものように話したが、私は、今はとても苦しくて、正直希望どころではない、信仰を持っていても現実的な苦しみから逃れられるわけではないから、信仰を放棄するつもりもないけど、未信者に信仰による恵みを理解してもらう自信はない、と言った。

 

しかし、今日の夜、昨日ボランティアに行ったいつもの教会で「Ro til Tro」という夜礼拝があることを知り、どうしても行きたいと自転車で行ってきた。

 

写真はイメージだけど、ろうそくの灯だけの夜礼拝は好きなのである。

私が信仰を持ったのは、闇落ちした時なので、私にとって蝋燭の灯がすなわち希望の象徴で、心の平安をもたらしてくれるのである。

現実的な問題を解決してくれるわけではないが、それによる苦しみや不安がかき消され、穏やかな気持ちになれる。

それにピアノの音楽を聴きながらメディテーションする。

 

これからどんどん暗くなっていくが、ろうそくの灯りをたくさん灯して、聖書でも読むかな、、、