つまずきと希望 | いまのしゅんかん

つまずきと希望

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。

だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。

(ローマ 15:5-7)

 

結局、あれからマルメ空港で1時間ほど待ち、2時頃コペンハーゲン空港に着陸、彼が乗ってきてくれた車で、まず娘を送り、3時半頃に自宅に帰ってきた。

姪に掛け布団と枕とカバーを渡して、片付けもそこそこにベッドに入ったが、7時半に起きてシャワーを浴び、8時過ぎに家を出て出勤し、先週の報告と、今後のプラニングの提案もしたが、勤務中はずっと眠かった。

 

オンラインで聖書の学びがあったので、家に帰ってとりあえず2時間夕寝した。

疲れていたけど、このジェットコースターのような日々と、ベルリンで第二次世界大戦前後の歴史について改めて学んだり、プライドイベントでテロ事件があったりで考えさせられることも多く、それを仲間とシェアしたかったので、参加してよかった。

 

今年になって、あまりの困難の多さに、社会状況を嘆いていたし、解雇された時は会社を恨んでたし、現職でも契約が更新されない不安で心が押しつぶされそうになったけど、やっぱり、その場その場でベストを尽くすしかないのだな、と。

 

と言いつつ、ベルリンで、空港に行く前に、ホテルに預けていた荷物を取りに行こうと移動しようとしたら、テロの犯人逮捕ミッションのせいか、バス運行がイレギュラーになっているような感じがして、メトロで移動するか、近郊電車で移動するか右往左往し、結局近郊電車に乗ったものの、次の駅で終点になってて最寄り駅まで行けず、慌ててメトロに乗り換えるも、検索で考えてなかった路線で乗ることになり、しかも途中でしばらく止まったりして、ホテルに着くまで気が気ではなかった。。。

滅茶苦茶焦っていたので、娘たちに冷ややかな視線を浴びたりして。

 

結局、空港には余裕で着き、腹ごしらえもして飛行機に乗ったものの、1時間でコペンハーゲンに着くはずが、予定時刻を過ぎてもなかなか高度が下がらず、延々と雲の中を飛行している時には、これまた不安になり。

そしてやっと着陸したと思ったら、マルメ空港で、それも雷雨のせいだと知り、これまたいつまで待たされるのかと暗澹たる気持ちになったり。彼がレーダートラッキングで飛行機の情報を教えてくれたのがだいぶ助けにはなったが。

 

思いがけない状況で、なかなかドーンと構えることができない。。。

 

 
今回、一番印象に残ったのは、Topography of Terrorだったのだが、ゲシュタポのヘッドクォーターの跡地に作られた博物館で、ナチスが台頭してから第二次世界大戦が終わるまでの12年間と、ニュルンベルク裁判について展示されていて、興味深い内容で入館料は無料なのに訪れたことがなかった。
 
最後は、「一般ドイツ市民も、ホロコーストに対する責任があったか?」という質問のパネルがあり、ポストイットに書いて貼れるようになってたので、私も書いて貼った。
 
「責任はあった。しかし、当時の権力を止めることも難しかっただろうことは理解している。危機があれば、救世主と思える人を支持するのは容易な流れである。本当は、危機は権力を持つ一人ではなく、民主主義を尊重しながら市民一人一人が問題解決に寄与して乗り越えるべきだが。」
 
こういう重いテーマを扱うところが、ドイツはすごいな、と思う。
 
何かのせいにしたり、誰かのせいにすれば、とりあえず自ら問題に向き合わなくていいので、そう易きに流れる。
私もそうだった。
自分の人生の困難を、いつも誰かのせいにしていたと思う。
 
第一次世界大戦の敗戦で借金を負った上に、世界恐慌でとんでもないインフレに見舞われ、どの国よりも厳しい経済危機に陥ったドイツ。
産業を作り出し、問題の原因をユダヤ人に求めたヒットラーはドイツ人にとって救世主のように映っただろう。
ドイツ人ファースト、どの民族よりも優れているという自負をもたらせてくれ、光悦感にも浸れたに違いない。
 
これが過ちだったとわかっているのに、今、なぜか似たような流れを感じもしたり。
 
 
つくづく、クリスチャンになって、忍耐というものを学び続けているような気がする。