愛の重みと覚悟 | いまのしゅんかん

愛の重みと覚悟

食事が終わると、イエスはシモン・ペテロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペテロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの子羊を飼いなさい」と言われた。2度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペテロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペテロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

(ヨハネ 21:15-19)

 

これまたかなり久しぶりに、礼拝に行ってきた。

しかも自転車で。

それまで、わざわざ車でショッピングセンターまで行って、そこから歩いていたのだが、自転車だとそれとたいして時間が変わらず。移住した当初は自転車でほとんど移動していたのに、2008年に車を買ってから自転車に乗らなくなってしまったが、やっぱり今後は自転車で移動するようにしようと思った。

盗難対策とパンクの対処が面倒といえば面倒ではあるが。

 

今日は、復活祭直後の定番の聖句だったが、この状況だけに余計にズシンときた。

愛って、甘い雰囲気があるけど、実際には重いし、覚悟がいる。

 

2016年に信仰を持ち、翌年に受洗をして、その2ヶ月後に彼と出会ったので、キリスト者としての歩みと、彼との関係を深めるのがほぼ同時進行で進んだのだが、ずーっと試練、試練、試練、だった。

最初は、信仰によってやっと愛というものを感覚的に認識でき、その上で一生共に生きていきたいという相手に出会ったものだから浮かれまくったけど、そんな甘いものではなく。

 

遠距離な上、前の結婚のトラウマから山スキーとウルトラトレランにハマりまくっていた彼とのコミュニケーションを維持するのが難しく、彼の心境を理解するより前に、自分の気持ちを優先しがちになってしまった。

デンマークでの就職先を見つけ、とりあえず、私が住んでいたアパートで同居生活をスタートさせ、同時にやっと娘が自立して子供から解放され、新しい人生を楽しもうとしたが、うるさい自治会元会長のせいでなかなか理想的な暮らしができずフラストレーションが溜まった。

やっと一軒家を買って、理想のライフスタイルを得たと思いきや、世界情勢が不安定になり、家を買うために転職したのに解雇され、もしかしたら近い将来家をまた売らなければならないかも、、という状況に陥っている。

 

でも、経済的に打撃がありながらも、彼が全力で私をサポートしてくれているのがありがたい。

 

思い通りにならなくても、「従う」か。。。

本当に、愛って重い。