試練
信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。
また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。
すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。
それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。
すなわち、/「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、/すべての舌は、神に賛美をささげるであろう」/と書いてある。
だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。
(ローマ 14:1-12)
12月以来、3か月ぶりにビデオチャットでの聖書の学びがあった。
1月も2月も集まらず、直前にキャンセルされたのだが、先月はなんとわたしが骨折した日で、痛みに耐えながら中止になってホッとした記憶がある。
それで、わたしが入院して手術した経緯について話したのだが、前回の学びのときから本当にいろんなことがあったなと振り返るのだった。
娘の心臓の手術と療養
トランプのグリーンランド獲得に関するデンマークへの圧力
不法建築の通知
わたしの骨折と入院、骨粗しょう症の診断
イランの戦争とエネルギー代の高騰
姪の経済的困難
次から次へと困難がふってくるような、振り回されている感の大きい3か月間で、特に国際情勢にはうんざりし、日米首脳会議ではどっちも嫌いなので悪口を言いまくり、人をジャッジしてはいけない、という基本を完全に忘れていたと思う。
でも、おそらく今後よくなることはないので、厳しい状況に振り回されずにどれだけ自分を保つことができるのか、という話になった。
ただ、骨折に関しては、病院で診断されたときは、なぜ氷の上で走るなんていう愚かなことをしたのだろうと後悔したが、退院後痛み止めのモルヒネをやめて散歩をしたとき、やっと体が動いているという感覚を得て、自分が生きているという敬虔なきもちになれたし、骨粗鬆症が発覚して生活習慣を変え自分をいたわることができたので、困難が新たな気付きを与える機会になることを体感してもいる。
そして、この度の戦争は長引きそうだし、いよいよ腹をくくらないと、、、と思っている。
つまりこれを機に、気候変動を考慮したライフスタイルに変える、ということである。
今までも散々、エネルギー消費を控えなくてはと思いながら、自分の欲に抗えずにずるずると来た感じ。
特に軽油が爆上がりしたので、彼はそろそろバンではなく自転車通勤にシフトすると言っていたが、今朝はわたしよりも早く家を出て、なんと走って出勤したのだった。
わたしもいい加減、放置しているロードバイクを出して、もっと自転車を使うようにしなければ。。。理学療法士さんも、走るのはまだダメだけど、自転車はいいと言ってくれているし。
旅行も、とりあえず予定しちゃっている夏まではそのまま、以降は頻度を下げたい。
でも、困難によって学ぶことも結構あるので、それほど恐れることはないかな、とも思っている。