Himmelbjerget Everesting 2025 | いまのしゅんかん

Himmelbjerget Everesting 2025

結局昨日は、私が19時半頃に走り終えてバンに戻り、ウェットティッシュで体を拭いて着替え、マットレスを敷いてシュラフに入り、ブログを書いてしばらく仮眠しようとしたが、寒気がきて寝るのを諦め、Himmelbjergetに戻り、風邪をひいていて雨が降る前に終わらせたいと約束していた通り彼は21時頃に1/2エベレスティングに到達して終了、バンに戻って行水してお湯を沸かしてカップラーメンを食べ、22時過ぎに出て、夜中の2時に家に帰ってきた。
シャワーを浴びて、飲みたかったのに我慢していたビールを意地でも飲み、今朝は遅い起床だったが、昨日は気にならなかった大臀筋が今朝になって猛烈に痛い。
 
でも、彼は先週末のLofoten 100milesで風邪を引いて1週間ずっと調子が悪く、私は水曜日に思い出せないほど久しぶりに生理がきて木曜日金曜日は重い頭痛に悩まされ、お互い不調での参加だったのに一応マイルストーンは達成できて満足である。
(しかし、彼は今また体調悪そうにしている。やっぱり無理してしまったか。。。)
 
 
3年前のエベレスティングの違いも含めて、今回のレースについて振り返りたいと思う。
 
このイベントの主催者は、発展途上国から奨学金をもらって富士山100マイルに参加したことに罪悪感を持ったことから、寄付金を集めることを目的に始めたのがこのエベレスティングで(ちなみに私たちは今回も2000DKK=4,4万円を寄付)、3年前に参加して楽しかったので、以来あれば参加するようにしている。
 
しかし去年は、大雨でトレイルはかなりの悪路になっており、滑って転倒しまくり、翌日にアメリカに発つことになっていたこともありたった2周で断念した。彼は翌日の昼までかけてエベレスティングまで到達。数少ない完走者の一人となったのだった。

 

今年は、なぜか集合場所が変わり、コースが大幅に変更されることに。

デンマークで「山」として認知されているHimmelbjerget(天空山という意味)が集合地だという。

ブリーフィングで、Himmelbjergetに建てられている塔が建設150周年記念で前日にフレデリック10世が来る式典もあり、特別な年にあるとして、今回はHimmelbjergetでやることにしたという。

  

 
私も知らなかったのだが、実はHimmelbjergetの塔は歴史的に重要な意味があり、なんと、1849年に無血革命で絶対王政を廃止し、フレデリック7世が主権を国民に譲渡したことを思い出させるために建てられた塔らしい。憲法が成立したとはいえ、当時は王も完全に国民主権を受け入れていたわけではなかったという。
うーん、、、、なんで22年も訪れていていなかったのか、、、山としては大したことはないと言っても、デンマークにとっては国民主権国家を象徴する場所だった。。

 

コースは、二通りあったのだが、私たちは不調だったこともあって、より簡単そうな、遊覧船の発着場から塔までの0,9km高低差121mをひたすら登り下りするコースを選択した。

塔から遊覧船の発着場を見ろした斜面。一部トレイルも見える。

 
コースはトレイルというより遊歩道で、ほぼグラベルで平ら、根っこなど妨げるものは何もなく、なんだったらベビーカーを押す家族連れも多くいるところで、ただでさえガチめの参加者ばかりなので、皆さん最初から飛ばし、ありえない速度で駆け降りているのだった。砂利道で乾いていたのも高速になってしまう理由かもしれない。
 
その勢いに釣られて私も下りでは走っていたのだが、8周目くらいから腰が猛烈に痛くなってきて、上りはともかく下りで大ブレーキがかかるように。特に階段下りで重力で背中にインパクトがかかるのが地獄だった。
しかも、今回は、テントの設営ポイントがコースの中になく、しかもお互い不調で雨が降る前に撤収することにしていたので、テントを張らないことに決め、また頂上は大テントもなくて休むところがなく、3年前のようにテントの中で横になって大休憩する、ということもできなかった。
 
時々頂上の柵のところで座って背中を休ませながら騙し騙し続けたけど、3年前よりも4時間も短くレースを終えたのに背中が痛くてしょうがないというのは、つくづく高速下山に求められる体幹と背筋の弱さが露呈したなと思う。
腿の筋肉は鍛えられて、上りに関しては最後まで全然大丈夫だっただけに、ものすごく悔しい。まぁ元々下りが苦手で、Galdhøpiggenも下山で毎回struggleするのだが。
 
とはいえ、イベント自体は楽しく、来年のコースはまだ未定らしいが、来年もあったらまた参加したいと思う。
 
追記
デンマークの憲法について、改めて調べたら嵌ってしまい別記事にあげようと思ったが、思ったよりも複雑でうまくまとめられる自信がなかったので追記としてだけ。
1849年にフレデリック7世がサインした憲法は、絶対王政から立憲君主制にする、という単純なものではなく、まだ第一次Slesvig戦争の最中にあったこともあり、一応Slesvig、Holsten、Lauenborgの3侯国も構成国として含んでいたが、効力はペンディング、結局1864年の第二次Slesvig戦争でプロイセンに負けたため、1866年にデンマーク王国単独での憲法に改正され、Slesvig出身のChristian9世は納得いってなかったようで、そもそもデンマークの国とは、が問われていたという。。しかも彼が調べたところ、当時はその3侯国がデンマーク全体の経済活動の半分を占めていたそうで、喪失の代償は大きかったようである。
だから、デンマークはノルウェーほど憲法記念日を祝う雰囲気にないのか、とも思ったり。。。
しかしまぁ、改めて学ぶいいきっかけになったと思う。