生かされていること
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また安全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
(ローマ 12:1-2)
久しぶりにオンラインでの聖書の学びがあり、「自分を変えるとは?」ということについて話し合った。
話しながら思い出し、みんなにもシェアしたのは、氷点下の中一晩を過ごした雪上キャンプについてである。
銀マットにエアマットレスの二重敷で、スキーパンツにダウンジャケット、毛の入った内履き、メリノウールの手袋をつけて帽子もかぶり、防寒対策はバッチリ、冬用のシュラフで体が凍えることはなかったのだが、窒息してしまうので顔だけは覆うことができず冷気に晒され、それだけでなかなか眠ることができなかった。
静寂と暗闇の中、眠りに入れず、私の感覚は研ぎ澄まされ、なんとも言えない恐怖と、自分の体温だけで生きているという感覚に、敬虔な気持ちを持ったのである。
全て何不自由なく享受できる日常では、ついつい忘れてしまい、なんでも自分の思い通りになると思ってしまうのだが、そういう極限状態で自分が生かされている存在であることを認識させられる。
特に、1月は世界情勢が荒れてきているし、仕事もパイプラインにプロジェクトがなく先がわからない状態なのに、大きなローンを負担して家を買う買わないでストレスでおかしくなりそうだったけど、結局なるようになったというか、、
給料が上がるわけでもないし、いい職場を離れる決断は辛かったけど、転職先でもぼちぼちプロジェクトが入ってきて、やっぱりこっちに来るべきだったんだろうなと納得できるようになってきた。とりあえず今のところ毎日なんかしら起きるので楽しいと言ったら楽しいが。
自分はなんて非力なんだと認めることが変わることの第一歩かもしれない。
