希求
昨日は、彼と一緒に、元牧師さん宅での黙想会に参加してきた。
家のことで大喧嘩したが、あることがきっかけで何よりも二人でいることが大事ということを認識し、なんと彼は聖書を学んでみたいと言い出したのだった。
まずはオンラインでの聖書の学びを誘ってみたが、いつもかたわらで聞いている彼はそれには食指が動かず、ならばとりあえずは新約聖書のルカの福音書を読むことを勧め、同時に、デンマーク人との黙想会に誘ったら参加すると。黙想会で用意されている本は、宗教色が濃くなくて面白いものが多いし、静寂の中に身をおくこともいい体験になるかな、と思ったのだった。
今回のテーマは、「Længsel」。
実は知らない単語だったのだが、英語だとLonging、日本語だと「切望」とか「渇望」という意味になるらしい。
しかしデンマーク語での説明によると、
Længslen kan være som et fyrtårn, der lyser og viser vej. (「渇望」とは、灯りで道を照らす灯台のようなものである。)
Alle indre længsler handler om at finde hjem til sig selv, og dermed finde hjem til Gud. (内なる渇望全てが、内なる家、神に通じる家を見つけることに関わる。)
Når du får kontakt til de dybeste behov og længsler, så vil du samtidig få muligheden for at møde dig selv. Du kan begynde at gå på den stil, som giver dit liv mening og retning. Du vil opdage af dine længsler er selve strømmen eller livskraften i dig. (あなたが深い要求や渇望に接した時にすぐにあなた自身に対面することになり、人生の意味や方向性を示す道に入る。その渇望があなたの中のエネルギーや生きる力であることを発見する。)
まずは、元牧師さん宅前の湖畔の方に下りて、春の野花や、湖で泳ぐ鳥を眺めながら、色々と考えた。
私は、2016年に信仰をもち、2017年の5月にその牧師さんに洗礼させてもらい有頂天になっていたけど、その2ヶ月後に彼と出会い、遠距離でなかなかコミュニケーション取れない難しさに早くも自分のエゴと戦うことになった。
そして、2019年に彼がデンマークに移住し、夢のような同居生活が始まったけど、やっぱり家のことでいつも平行線で、常に私たちの関係の中には火種を抱えることになった。
今年の1月2月の不動産屋と銀行と保険屋とのストレスフルなやり取りを経て、先月末にある出来事が起きて、やっと目が覚めたような気がする。
参加者の一人が、湖で泳ぐ鳥の波紋を見て、ある存在の影響が周囲に波及していく様が見れて、何て美しいのだろうと思った、とコメントされていたが、本当にその通りだな、と思った。
存在の重みや価値を忘れてしまいがちになるだけに、とても秀逸なコメントだと思った。
彼は、たまたまピックアップした本がとても当たりだったようで、辞書を使いながら読んでいたらしい。
カウンセラーが著者で、多くの闇におちたクライアントと接してきた人だという。
自分の人生しか生きられないのだから、人と比べてもしょうがない、という内容が心に響いたと。
一応、キリスト教がベースになった集まりとはいえ、あまり押し付けがましい感じもなく、無宗教者の彼でもすんなり参加できたようだ。
奇しくも、先週は、地下鉄サリン事件の30周年があり、今日は、東京地裁が元統一教会に対し解散命令を出したそうである。
私は、親戚が創価学会に入っているし、こういった宗教がらみの問題を見てきて、日本にいたときは宗教に対してアレルギーを持っていた。
彼は、11年間のアメリカ生活で、過激なキリスト者を散々見て、キリスト教に対しても強い拒否反応を持っており、私と付き合ってしばらくしてから私が受洗していることがネックになりそうなこともあった。まぁ私も、大統領選での福音派の主張をみたり、去年行ったシアトルでキリスト者の街頭演説を見てシラけたクチなので、それもよくわかる。
私は、日本人で、潜在的に心の拠り所を求めている人が多いと思っている。
しかし、それはあくまでも自分自身の希求によるところであって、他人がそこに付け込む、もしくは踏み込んではならないと思っている。
私が言語のハンデがあってもなおデンマーク人の集まりに興味があるのは、デンマークの個人主義のところが非常に心地よく、個人的な希求の余地をお互いに尊重し合う雰囲気が好きで、心から分かち合うわけではなくても、それでも集いに参加するのだと思う。
それに信仰を持って、散々聖書について学んできてはいても、やっぱりつまづくものなんだな、、と。
今回のことで嫌というほど学んだような気がする。
