聖書の会
わたしに尋ねようとしない者にも
わたしは、尋ね出される者となり
わたしを求めようとしない者にも
見いだされる者となった。
わたしの名を呼ばない民にも
わたしはここにいる、ここにいると言った。
(イザヤ 65:1 )
今日は聖書の学びの会だったが、急遽やることになったせいか人が集まらず、二人きりだったのでほぼ雑談に終始した。
1時間弱経ってから一人加わったが、次回はきちんと都合を聞いて仕切り直そうと言い合いお開きに。
そういえばいつも予習しないので、こうなったら予習しておこうとローマ書の10章、信仰を拒んだユダヤ人に対しても神は常に手を差し伸べ続けたあたりを読み、色々考えさせられた。
雑談の中で、最近は日本からヨーロッパに日本人牧師を派遣することも少なくなってきたそうだが、それでもやはり母国語で教会を持つことの意義について話し、日本語教会がないためデンマークで地元教会に通うわたしでも、デンマーク人とはそもそもベースが違いすぎて、毎回自分のバッググラウンドを話さなければならず、特に日本ではキリスト教の「愛」の概念が浸透されていないので、まずそれを「知る」ことのハードルが高かったことを説明するのが大変だったと言った。
しかも最近はSNSを見ても、日本でさらに不寛容になっているのが感じられて苦しいと。
自分の正義感に熱くなりすぎて、人を断罪しようとするのを見るのが辛い。
しかし、ローマ書を読んでいると、自分が殺される危険を常に感じながらも、常に伝道者としてあり続けたパウロはすごいなと思う。
1週間後にはお世話になった牧師さん宅で黙想会があるので、静寂の中に身を置いて、祈りに集中したいと思う。