求めたい力 | いまのしゅんかん

求めたい力

今朝、彼が興味深いポストを教えてくれた。

 

 

ミリタリー訓練の中のあるアセスメントの中で、チーム10人で544kgの電信柱を数十km運ぶ、というものがあり、それをどう遂行したかという内容だった。

一人54kgの重みを片手で受けるというのは相当な負荷で、何十秒と続かない苦行で、最初はなかなか進まず、みんなで絶望感に浸ったとか。

そのため二人が脱落したが、かえってそれで効率が向上し、残りの8人で、ただ同じことの苦行を繰り返すのではなく、色々と試行錯誤し、走ってみたり、インターバルの間隔を変えることによって最適解を見つけることを試み、成し遂げたそうである。

なんでも、意外にも大人数いるとかえってまとまりにくく、より少数の方が物事が動きやすかったりするそうだ。しかも、短いスパンで試みとフィードバックを繰り返すこともいいらしい。今流行りのアジャイルのように。

 

日本では何かと嫌悪される軍隊活動だが、実は私は結構興味があり、デンマーク国籍で18歳だったら志願したかったなと思ったりする。まぁ奇しくもデンマークでは女性も徴兵制が導入されたところであるが。

なぜかというと、ただ肉体的な訓練をするというだけではなく、命懸けの活動なだけに、生きるための問題解決におけるインテリジェンスを鍛えられる機会だからと思うからである。

ウクライナの戦争が始まり、戦争が必ずしも他人事ではなくなり、食料の貯蔵を求められたり、ヨードの配布の話があったり、いつ有事になるかわからない状況になったせいもあるが、山スキーに行くようになり、サバイバル力をつけたいと思うようになったことも大きい。山スキーもかなりリスクのあるスポーツでもあり。

 

ずっと学歴について考えているのだけど、私はやっぱりサバイバル力の方が重要だからと思っているのかもしれない。

今に至るまでいろんな人に会ってきたけど、生きる力は必ずしも学歴に比例しない、ということが体験的にわかってきたからである。

例えば、前の夫は、頭はめちゃくちゃよく、考えることにおいてはピカイチだったが、(デンマーク人なのに)電話一つしない、自ら動けない人だった。早いうちにデンマーク語で電話ができるようになったのも元夫のおかげと言っていい。最初の夫も、英語で論文を書き、英語力があることをアピールしていたが、アメリカやオーストラリアでは一言も英語を発さなかった。

一方で、高卒の友達は、一人で3人の子供を連れてドイツ経由でデンマークにやってきた。電車に間に合わなくて目的地にたどり着けず、やむをえず途中の駅でホテルに泊まったそうだ。デンマーク語の吸収もめちゃくちゃ早く、看護大学に入って卒業しすぐに率先力として就職した。

 

私が、日本の受験文化を無くしたいと思うのは、その内容が、能力の一部しか評価できないシステムになっているからである。

今の日本社会の停滞は、むしろ本質的に必要な能力が評価されるシステムになってないことも大きな原因になっているのでは、とさえ思う。

私が彼をデンマークに移住するよう働いたのは、日本企業での彼の評価が不当だからと思ったから。彼こそ、必要とされる能力を持っているのに、ただでさえ低い報酬のスタートな上昇給もなかった。今、3倍近くの収入を得て、それだけに毎日家でも勉強しながら、プロジェクトに貢献している。

そうやって、高い問題解決能力にはリスペクトが払われるのが健全な社会になるのでは、と思う。