苦しみの理由 | いまのしゅんかん

苦しみの理由

同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、霊の思いが何であるかを知っておられます。霊は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

(ローマ 8:26-30)

 

昨日はオンラインでの聖書の学びだったが、これまたちょうど降臨祭前にぴったりの内容だった。

 

まず「うめき」とは?という話になり、祈ることもできないくらいに苦しかった時のお互いの体験についてシェアし合った。

私は、信仰を持ってからはどうしようもない苦しみに陥ったことがなく、むしろ信仰を持った時に孤独でのたうち回っていて、まさにうめいていたと思うけど、クリスチャンハウス出身で生まれた時からクリスチャンだった子もまたそういう時があり、普段お祈りしたり信仰を確かにしている時とは全く別の感覚だったことを話してくれた。

 

よくお邪魔するブログでレビューされていた映画のことを思い出した。

 

 

私は、映画館ではなく、1月に日本からデンマークに戻る飛行機の中で観たのだけど、行きにたまたまDen Store Stilhedを観てElliott Crosset Hoveが好きになり、帰りに同じ俳優が主演だからとVanskabet Landを観たのだった。

いずれもキリスト教に関係する映画だが、前者は号泣ものの映画であるのに対し、後者は泣けないほどに重い映画だった。

 

 
かつて一緒の国だったノルウェーでさえもデンマークとは全然違う。
言語は似ているけど、国民性はかなり異なると思う。
初めてGaldhøpiggenに行ったとき、稜線上で片側崖っぷちのところで、視界のなさと立ってられない風の強さに恐怖を感じた。
あと、Glittertindenで雨風に打たれ、手が冷たくなって心が折れたことも。
私が怖がりながら雪渓を登っている傍、絶妙なバランス感覚でひょいひょいと登っていくノルウェー人に敗北感を感じたものである。
 
当時デンマークはアイスランドを統治し、より進んでいた国からプライドを持って派遣されてきたとはいえ、容赦ない自然を前に恐れ慄いているデンマーク人牧師に対してイラつくアイスランド人の気持ちはよくわかる。
こないだも、森を我が物のように思っているのかデンマーク人女性が私の彼に不快感を示しハードシェルを取って行ってしまったエピソードからしても、デンマーク人の自然に対する感覚は都会的だなと思ったし。
 
だけど、デンマーク人牧師は、アイスランドで初めて人間としての自分の弱さを認識したんじゃないかなと思った。苦しみの中で醜い自分と対峙せざるを得なかったというか。
クリスチャンハウス出身のその子は、20歳くらいの最も苦しかった時に、最も敬虔な気持ちの瞬間を得たと言う。
 
でも今、苦しみにはそれだけの意味があったと思っている。
自分でコントロールできると思っていても、実は自分ではどうしようもできない流れの中で生きている非力な自分を自覚させられている。