9年ぶりの再会(2) | いまのしゅんかん

9年ぶりの再会(2)

9年という年月はやはり長く、その間に私は日本で出会いがあってデンマークに呼び寄せ結婚し、一方で彼女は、移住する直前に妊娠し身重ながらアメリカですぐに就職し、二人の子供のワーママになった。人手の少ない会社だったため、二度とも2ヶ月とかで職場復帰したらしい。

アメリカはデイケアが高額なため、はっきり言って彼女のサラリーがまるまる保育料に持っていかれるそうだが、忙しすぎてとても休めなかったと。とはいえ、そこまでしてもキャリアの継続は将来への大きな投資とも言えるので、決して経済的に損しているとも思えないが。

私は産後の前後の1年間専業主婦として過ごし、娘が8ヶ月の時に嘱託の検査技師として社会復帰し、1年半働いた後にパートタイムで建設会社で1年間働いたけど、デンマークに移住して博士課程を始めた時にあまりにも頭が鈍っていて、なかなか勘が戻らなかった。

 

なぜ彼をデンマークに呼び寄せたのか、日本で働いていた時にあまりにもひどいプロマネの元で働いていたのと、エンジニアとして高い能力を持ちながらなかなか日本では評価されないことに、私の方がキレてデンマークのポジションを掲示し、私がカバーレターも書いてアプライさせたことを話した。

そしたら、彼女もまたひどいプロマネにあたってたことがあり、ものすごい共感を示してくれたのだった。

アメリカでもまたただの伝書鳩とか、かかった工数をエクセルシートに入力するだけのプロマネがいるらしい。ただ、そういうプロマネは存在意義ないよね?ということになって解雇されることも多々あるらしいが。

 

コペンヒルで友達の家族と合流し、初めて「お母さん」である彼女の姿を見た。

初めて会った時は、私は11歳の娘がいるワーママで、彼女はまだ20代の若いPhDの学生だった。フィジカルではだいぶ楽になっていたけど、娘は絶賛思春期で母親として難しい時期にあった一方で、彼女はバリバリ研究に励み、なおかつ仕事以外のアクティビティも盛んでさまざまな趣味(サルサ、演劇など)にいそしみ、金曜日になれば街に飲みに行っているのを眩しく見ていたものだった。

 

しかし今は娘は24歳で親としてはほぼ卒業、彼とスキーやハイキングなど今までできなかったアクティビティに励み第二の人生を楽しんでいる一方で、彼女は8歳の娘さんと5歳の息子さんのお母さん。特に男の子は今もイヤイヤ期で女の子とは違う育児にstruggleしているようだ。しかも、旦那さんは営業エンジニアでしょっちゅう出張で不在なので、ワンオペ育児も頻繁、しかし彼女もフィールド作業の仕事があるので、たまに出張に行くと一日12時間労働というのもザラでいつまでも体が休まらないらしい。

9年間で完全に立場が逆転していることに、また違う感慨を覚えるのだった。

 

私たちがコペンヒルに着いた1時間後に彼が到着、彼女と旦那さんに彼を紹介した。

これも実はずっとやりたかったことだった。

何故なら、彼女も彼も18歳でアメリカに移住し、アメリカの大学に進学し、最終的にPhDまで取得するなど共通点があるから。

しかも、同じ中西部ということで旦那さんも興味を持ってくれたようだ。

彼がいたアイオワと、彼らがいるウィスコンシンは文化的に近しいらしく。ちなみにいずれも北欧系が多く、素朴な気質とか。

友達の旦那さんはファミリーネームは北ドイツっぽいが、デンマークとノルウェーの血筋も持っているようである。見た目は普通にデンマーク人っぽい。(デンマークではデンマーク語を解さないことに驚かれるとか。)