娘が見た日本の不思議
昨日、娘は弟一家と食事をし、3年ぶりに彼らとの再会を果たしたのだが、娘いわく日本語でのコミュニケーションはあまり問題なく、ヒュゲリな時間を過ごしたらしい。
普段娘が日本語を話すことは皆無なので、どれほど話せたかは不明だけど、少なくともわたしはずっと日本語でしか娘に話しかけていないので、理解するほうは比較的マシだったのかもしれない。もっとも、わたしはかなりデンマーク語の単語をまぜているので、どれだけ日本語の言葉を理解できたかどうかもさだかではないが。
しかし、娘の話で興味深かったのは、高校一年生になったばかりの第二子である甥っ子は、弟の母校である名門大学に入学することを目指していて、一番最初の定期テストである中間テストで、クラスの中でトップの成績をとったことで、そのレベルを維持するべく、食事の時に教科書を持ち込んで期末テストの準備をしていたそうだ。
小学生の時は、一番上の姪っ子のほうが成績がよく、難関の都立中高一貫校を受験し、見事合格して学業的には充実した教育を受けていたが、コロナになってリモートになりモチベーションが下がったのか、第一希望の大学に入れなかったのとは対照的に、甥っ子のほうは今勉強に燃えるようになったらしい。
ただ、娘は、甥っ子が数学の教科書をみながらひたすらノートに書いているのをみて、どうしてそういう勉強の仕方なんだろうと疑問に思い、わたしに聞いてきたのだった。
なぜなら、デンマークでの勉強は、問題を解くか、レポートを書くか、だからである。確かに、そういう意味で、今までも日本であったような試験勉強は娘はやったことがなく、今回の試験期間も、ひたすらプロジェクトと課題に取り組む日々であった。
なので、わたしは言った。
日本では、試験といったら大体1時間か90分間だから、課題をこなすのではなく、質問に答えるやり方だからだよ、と。だけど、デンマークのやり方のほうが本質的な学びにつながると思う、と。
よくお邪魔するブログのところで、「わたしはいくらでも日本の教育についてディスることができる」とコメントを書いたことがあるのだが、それはなぜかというと、こちらで仕事をしていく上で、日本で教育を受けたわたしと、デンマークで教育を受けた同僚との違いをまざまざと見せつけられ、忸怩たる思いになることが毎日のようにあるからである。
今日もあった。
今、うちの会社では環境アセスメントのISO14001を取得しようとしていて、昨日そのコンサルの人たちが実験室に来て問題を指摘してきたのだが、わたしはその解決法としてあるソフトウェアを使ってみたらどうかと提案したら、そんなことをしたら作業の量が半端なくなるので、法律を調べて、規定に従う範囲内で一気にまとめて作り上げる、という風に一蹴されてしまい、全体のコストを無視して目の前のことしか見てなかった自分の視野の狭さに凹んだばかりなのである。
わたしはどうしても一つ一つの問題に囚われてしまうが、同僚はよく課題全体を見て、最も効率的な解決法を導いていくというやり方で、そのほうがコストもかからないし時間もかからないし、わたしも無駄なことには時間をかけたくないと思いつつ、なかなかそういうマインドセットにならない。
問題解決能力の低い自分にイライラするのである。
なので、高校生くらいの時から娘は重い課題をこなしていて、大学最初のセメスターでコンピューターサイエンスのレポートを書いているときは彼でさえ解けない問題を持ってきて大変そうだったけど、いいなぁと羨ましく思ったものである。
日本のやり方だと、知識は増えるけど、本当の課題に取り組む力をつけることはできない。
それにしても、娘の日本滞在も3年ぶりだけあって視点もだいぶ変わっているだろうし、今後も話を聞くのが楽しみである。