彼との出会い | いまのしゅんかん

彼との出会い

今日で、デンマークに移住して15年たった。

5年前の10周年の記事を読んだけど、あれからもいろいろあった。その7か月後に離婚が決まり、アパートを購入し、帰化申請をし、引っ越しをし、デンマーク国籍を得たかわりに日本国籍を喪失し、地元の教会で牧師さんと出会い、洗礼を受けた。そして会社は危機に陥り、社長は解雇された。

それ以外にも、あの年はいろいろあり、4月にロックアウトがあり、5月末に娘のクラスが不穏であることが発覚し、しかも、その中心人物として娘が問題に関わっていることを知り、6月に急遽ローマ旅行に。娘とじっくり二人で過ごすことによって、それが実はわたしが原因だったことも認識。そのころわたしは不倫絶賛中で、その結果娘をちゃんと省みてないことに気が付かされ。それでもなかなか異国で一人で生きていく覚悟ができないままずるずるし、挙句11月に元夫に離婚を切り出され、やっと目が覚めてデンマークで自力で生きていくことを決意。そしてつきあっていた相手とも別れ、新生活を立ち上げるべく、銀行との面談やアパート探しに精を出すようになったのだった。

在デンマーク10年たったときも、ひととおりデンマークでの試練も乗り越え、生活を謳歌もしていたけれど、さらに大きなチャレンジをすることになるとは思わなかった。

住まいや育児や仕事もそうだけど、離婚後孤独になり、改めて自分の闇に直視することが何よりも大変なことだった。

だけどその後、地元の教会に通うようになって、受洗もし、クリスチャンとして新たな再出発をしたのである。

 

その二か月後、日本での一時帰国のときに彼と衝撃的な出会いがあった。

もともと親友の子とサシで会う予定だったのだが、指定されたバーレストランに行くと、知らないひとに声をかけられた。

あとから知ったことだが、そのひとは親友の彼氏だった。

なんでも、そのひとも高校のときの同級生をサシで飲むから彼女にも来ない?と聞いたそうだ。でもわたしと会うことになっていたので、場所も決めてなかったし、ならば同じところにするかと決めたらしい。

そのひとは、わたしの親友が30分ほど遅れるということを知らせてくれたのだった。

なんとなく居場所を失ったわたしだったけど、その方と高校のときのお友達、すなわちわたしの彼になるひと二人が厚意でわたしもまぜてくれ、しばらく3人で飲むことになった。

   

あんまり覚えていないが、自己紹介として、デンマークに住んでいて、今一時帰国しているから友達と会うことになっていたというようなことを言ったと思うのだけど、しばらくして親友が合流してから、彼女にとっても彼とは初対面だったので、彼への質問がつづき、彼が18年間海外に滞在していたこと(だから彼も3か国語に通じている)、アメリカでエンジニアリングでPhDをとったこと、国際結婚をしていたこと、東京出身だけど地方に住んでいたことなど、ただでさえわたしとの共通事項が多いことが判明したのに、なんと、岩手県の八幡平に自転車で行った際、救急車に運ばれ、岩手医科大学の救急に行ったということも共通していて、彼に興味をもったのだった。

親友いわく、そのとき彼女はわたしをトイレに連れ込み、「彼にアプローチしなさい!!」と説得しようかと思ったという。

しかし、帰るとき、彼女は彼氏と帰ったのでわたしは彼と二人になったが、特にこれといった感触もなく、しかもそのあとメッセージひとつ来なかったので、デンマーク的にこれはナシということなんだろうと判断したのだった。

わたしの性格上そもそも遠距離は無理だし、まぁしょうがないと思っていたが、親友がこれは運命的な出会いだと盛り上がってしまい、再度4人で会うことをアレンジしようとしてくれたが、たまたま都合がつかなかった。

確かに、色恋とは関係なくとも、彼をひとりの人間として充分興味深く、可能だったらデンマークに帰る前に二人で話してみたいというきもちもあり、やや緊張しつつも思い切って会ってくれませんかとメッセージを送ったところ、即座に返事がきて、その3日後に一緒に登山しにいくことになった。

 

登山だったけど、お互いにデート気分で、遠出でもあったのでかなりの長時間話しまくったが楽しかった。

そしてわたしは彼のことを好きになった。

共通点が多いから興味をもったけど、好きになったのは、わたしとは違う彼の生き方に感銘を受けたからである。

そのうちのひとつのエピソード。

彼はずっと数学が好きだったが、高校のときの試験で、いつも最後の問題が難問で、毎回それだけに時間を費やしていたため、点数が悪かったという。だけど、その難問に取り組むのが好きだったから結果を省みずそうしていたとか。でも、先生に、かなり答えに近かったとかフィードバックをもらえていたらしい。

普通だったらできるだけ多くの点数を稼ぐために、むしろ難問を捨てるくらいであろう。

それを、成績とか関係なしに、あえて難しい問題に挑もうとするなんて、このひとは、本当に勉強が好きなんだな、、と。

業績を積むとか野心もあまりみられないけど、学ぶことは楽しんでいて、そういう体裁ではなく、本質を好きで追求する姿勢が好き、、、と思った。

そして、日本で受験しないことを選択したので、高校3年生のときも受験に縛られない勉強をしたそうだ。例えば英語で書かれた専門書を読んだり。卒業してからはアルバイトをしながら英語の語学学校にも通ったそうである。

1718歳と若いときに、日本のシステムに走らされず、自分のやりたいことを決めて、実行したなんてすごいなぁ、、と尊敬しつつ惚れてしまったのである。

 

それに対してわたしは後悔がいっぱい。思い切り受験システムにおどらされていたし、あんな不毛なことにエネルギーを費やしてもったいなかったと思う。

むしろ、高校で禁止されていて隠れてやったアルバイトと、高校3年生のときに親に内緒で関西に旅行に行ったことがいい経験になったなと思っている。

アルバイトで、お金を稼ぐことが大変なことを知ったし、大学生と交流するのは楽しかった。内緒の旅行で、17歳にして初めて一人でホテルに泊まり、新幹線に乗り、遠出することは実は簡単なことを知って、それからわたしの旅行熱に火がついた。大学で自転車部に入り、日本各地いろんなところに行き、19歳のときに友達と初めて3週間のヨーロッパ旅行に行った。英語も話せないのに、宿もいきあたりばったりで、現地で電車のチケットを買って気ままに移動し度胸がついた。結局、それも含め、大学生のときに33週間のヨーロッパ旅行をした。

やっぱり受験以外の経験は必要だし大事だと思う。

 

というようなことを、今日彼とのビデオチャットで話した。昨日の映画で思ってたところもあり。

それでわたしの好きな彼のエピソードを書きたいと思ってて許可ももらったのだけど、なんとなく気が向いて、彼との出会いについて書いてみた次第である。

さらに5年後はどうなっているのだろう。