省資源消費社会 | いまのしゅんかん

省資源消費社会

昨日、サバティカルで来ているひとと話したのが面白かった。

 

なんでヨーロッパでは車メーカーのイニチアティブでカーシェアリングビジネスが発達しているか。それは、BMWは高級車を売りにしているメーカーで、それとはまったく異なるモデルの車をカーシェアリングさせることで、違うターゲット層からの需要が見込めるビジネスを並行で走らせることができるからとのこと。

確かに、あのBMWなのに、なんでこんなにかっこ悪い車なんだろうと思っていたが、そうすることで、売る車とのオーバーラップを妨げることができる。

一方で、日本の車メーカーの場合、特にあの世界でも上位のシェアをもつメーカーだと、あらゆるターゲット層のためのモデルをつくっているため、オーバーラップを避けることができず、もしカーシェアリングさせてしまったら、採用した車の売り上げを下げることになってしまう。

しかも日本の場合、特に大都市は駐車する場所を確保しにくいという問題があるため、もともといろんな場所で停める場所をもつコンビニやパーキング会社がカーシェアリングビジネスを始めているとのこと。

  

ちなみに、デンマークでは、車の回転をよくするために、停める場所は基本コペンハーゲンのみで、あとは数か所例外があるみたいだが、うちの街では大学だけ停められることになっている。まぁうちの街は車を所有する富裕層が多いので、カーシェアリングの需要も見込まれず、ターゲット層である学生が多い大学以外は対象外となっているのだろう。

彼曰く、デンマークでのカーシェアリングビジネスは、そういう計算が緻密に行われているとのこと。もちろん、車の稼働率を上げるべく、需要の大きいどころでのみの利用になるが、同時に適度に分散させる必要もあるため、時間帯での統計データを分析し、需要の大きい方向では利用料を高く設定する一方で小さい方向では逆に安くすることで、車が片方に偏らない工夫もされているという。

また、普通の所有車が利用率が5%と低いため、その使わない時間帯でシェアリングに貸し出す、というビジネスも始まりつつあるという。使ってない間にひとに貸すことによって小金を稼ぐ、というサービスである。ただし、使いたいと思うときに、貸し出されていて使えないということもありうるし、また同じ場所に戻ってきてくれるのか、まだ課題はありそうだが。

将来的には、すべてがシェアリングでまかない、少数の車を高い稼働率で使うというのが望ましいかたちといえる。

 

しかし、日本ではまだまだシェアリングによる省資源には大きな障壁があるという。

ヨーロッパでは、異なる自動車メーカーが同じ工場をシェアして、同じモデルの車を生産する、というのが普通で、わたしのトヨタ・アイゴちゃんもシトローエンC1とプジョー107とまったく同じである。ついているロゴが違うだけ。

それも、複数のメーカーが生産ラインをシェアすることで、需要に応じた生産と高い稼働率を両立することができるという。

それに対し、日本は各メーカーが自前の工場で生産しているので、稼働率をあげるためにはとにかく生産をキープするしかないという。

 

というか、そもそもシェアリングビジネス自体、ものづくりを標榜している日本にとって、もともとの主産業の脅威となりうるわけで、なかなか浸透しにくいものなのかもしれない。

それでも、最近はメルカリとか、もののリサイクルも盛んにはなってきてはいるみたいだが。

 

ちょっと前に、気になってなぜ日本の家屋は断熱に乏しいのか調べてみたところ、もともと夏仕様の家にするべきという古くからの文化があるせいも大きいが、放熱のほとんどが窓からなので、窓の断熱さえ改善すればいいだけなのにと思ったら、そもそも日本での燃料費が安いため、断熱効果を上げるためのコストをまかなうだけのメリットがないからだという。なので、日本が基準に設けている窓性能も、ヨーロッパに比べてずっと低く設定されているという。

最近は、冬の室内の低気温が健康に悪い影響を及ぼし、結局は医療コストをあげることになるから、断熱性能をあげようという風潮もでてきたらしいが。

 

結局そこか、、、と。

エネルギーコストが低いから、お金をかけてまで省エネルギーにしよう、というふうにはなりにくいし、また高価な再生可能エネルギーの導入もなかなか進まない。

そしてものづくりを標榜としている日本だから、エネルギーコストをあげられないし、生産して消費されないと経済も回らない社会になっているという。。

自動車メーカーが工場をシェアせず自前工場にこだわるのも、生産をしなければならない仕組みになっているからかもしれないし。。

まぁ、でっかい買い物である自動車はともかくとしても、、

確かに日本にいると消費を促されるというか、無駄遣いが増える。安いから、無意識になってしまうのがまた怖い。というか、むしろそれが一種のエンターテイメントにもなっているというか。

なので、結局効率化が進んでも、削減された時間やエネルギーは、また別の生産に使われることになるという。

残業が減っても仕事は減らない、のがまさにそうで。

 

消費の感覚が違うのも大きいかもしれないが、、わたしは最初、むしろそのギャップにとまどったものである。

そのサバティカルの彼は、短期の滞在にして、すでにデンマークの省資源消費の社会に魅了されているようである。