現実性を求める国
Cちゃん、前回のブログ、「Alene(本のタイトルで独りという意味。)」についてコメントありがとう。
いや本当に、Cちゃんも「Alene」について、この国の話らしいとのことであるが、指導教官の日本人の奥さんも、
「もうね。読む本読む本すべて暗くってさぁ。やんなっちゃうのよね。」
と言っていたものだった。
実は、この前にも、心の病気を患っている人が公園で知り合った女性の赤ちゃんを連れて行ってしまうという本を読んだばかりで、思わず彼に、
「なんで、この国って、悲しい話が多いわけ?」
と詰め寄ったのだった。
すると、
「話がリアルなだけだよ。」
と。
確かに、そうなのかもしれない。
勧善懲悪の価値観がしみついている日本人としては、長所ばかりの主人公を好み、主人公が成長するような話を好むが、実際にはそんな長所だらけの人間なんてそうそういないし、とことん嫌なヤツというのもなかなかいない。もちろん、主観的にみて嫌なヤツは存在するが、客観的にみたら普通だと思う。
だから、日本のドラマって主人公にとってのご都合主義というか、主人公が中心になってまわっている世界として描かれているように思う。
主人公の恋のライバルはイヤなやつ!みたいな。主人公の正当性のために周囲の人が存在しているかのようである。
それに対してこの国のドラマや本のストーリーは、善悪でカテゴリー分けすることがなく、誰もがいいところも弱いところもある、実際にいそうな人物として描かれることが多い。
わたしが、この「Alene」を読んで印象に残ったのは、主人公の夫が、不倫したことに対して言い訳を言わなかったこと。
不倫が妻を傷つける行為だと認識しながら、決して不倫を妻に原因に求めるでもなく、妻を新しい彼女と比較するようなことも言わなかった。
わたしは、このブログでも、さんざん元夫に対する批判を書いてきたが、それはきっと、自分が夫以外の人を好きになってしまったことに対して後ろめたいきもちをもっていたからだと思う。
不倫が悪いことだと思っているから、そうなったことの正当性を証明するために、元夫を批判したり、彼と比較してきたのだと思う。
産後は完全なるセックスレスだったのだが、そういう意欲を喪失してしまったことが悪いことだと思い、いろいろ夫に理由を求めたりしていた。産後パチンコに行ってその日には来なかったことなどを責めたり。
確かに、それは腹もたったのだが、夫に対して生理的な嫌悪を覚えるようになった(手をつなぐことすらできなかった。)のは、本当のところ理由はわからない。ただ、そういうきもちになってしまっただけである。
でも、自分が悪者になりたくないばかりにそれを認めるのが怖くて、夫のことを非難したり、自分の性的なバックグラウンドについて省みたり、いろいろやってみたものである。
今でも、毎日のように彼に腹を立てている。
でも不思議と嫌悪感は残らない。
好きなきもちは喪失するどころか、一層強くなるばかりなのである。
そういう意味で、きもちって、理屈だけじゃないなぁと思う。
「Alene」を選んだのは、主人公を彼に重ねたからかもしれない。
この主人公のように、彼もまた、元奥さんの不倫を確信する前に、その兆候をかぎとり、そのときの精神的苦痛ははかりしれなかったと言う。ほとんど異常だったとも。
以前、ブログに、元奥さんはわかりやすいところにピルを放置していたと書いたが、実は、元奥さんの挙動を不信がっていた彼は、彼女の部屋を徹底的に調べ、ベッドのマットレスまでひきはがし、その下からピルを発見したそうだ。
それだけでなく、ゴミ箱まで漁ったそうだ。映画の半券や、携帯電話の請求書まで見たそうである。
そこまでしたことにわたしもショックを覚えたが、ピルを見つけてから失意のどん底に落ちても、元奥さんを責めるきもちはなかったという。
元奥さんに嫌われたくないばかりに、できる限りの努力をしながら、それでも事態が改善しなかったことで、もうこれ以上することはないと悟ったそうだ。
奥さんを責めても、奥さんが変わるわけではない。その状況をただ認めて、離婚を決意するほかはない、と。
この国には、慰謝料が存在しない。
どんなケースであっても、離婚後、経済的状況を平等にしなければならない(既存する財産の分配と、収入の多い方による毎月の送金。)、というルールが存在するだけである。
離婚事由を求め、どちらの配偶者が過失を犯したのかを決めるのではなく、ただ関係が働かなくなった事実を受け入れるというお国柄である。
「Alene」のラスト。
さんざん泣いたあと、夫は自分をもはや愛してないことを認め、窓の外に見える月を眺めながら、
今度旅に出よう。-ひとりで。
なんともこの国らしいと思った。