恩人
日本の恩師から、エッセイの本を送っていただいた。
藤原正彦という、数学者のエッセイである。
トータルで4年間もの欧米に研究滞在経験があるだけに、共感することも多かった。
特に、日本人としてのアイデンティティと文化、慣習をしっかりもつことで、異なる文化も認め、真に溶け込むことができるということに同意した。
とにかく、外国と日本との違いを認識しながら、さまざまなことを考えさせられるのは、どこの国でも同じなのかもしれない。
日本の恩師とは、研究のことだけでなく、さまざまなことを話し合える不思議なつながりをもっている。
「バカの壁」を貸したら、妙に受けて、それから教育の話や、感性の問題について話が発展するなど、研修で1ヵ月半お世話になったときは、毎日雑談の嵐であった。
それがとても楽しかった。
恩師は、本当の意味での恩人である。
わたしは、大学時代、妙にまっすぐな上に、相手が目上であろうが、それを貫こうとする頑固さがあり、異なるものを受け入れる度量がまるでなかったので、多くの学生に疎まれていた。
それが密かではなく、表立ってされていたので、さすがにわたしは疎外感を感じ、周囲に攻撃的でありながら、同時に自分という人間が嫌いになっていた。
時には、研究室にも行けないほどだった。
でも、恩師だけは、わたしという人間を受け入れてくれていた。
確かに、わたしの欠点に辟易していたようであるが、わたしが真に好奇心や興味をもち、それを原動力にして研究に励んでいる姿勢に対しては評価してくれていた。
後から知ったことであるが、ある学生は、恩師にわたしに関する非難をし、どうにか先生の力で改善させるように懇願もしたそうだが、先生は決して学生の不満をわたしに伝えなかった。
もし、先生が本当にわたしを否定的にみていれば、それ幸いとわたしに忠告もしただろう。
しかし、わたしの努力や姿勢を評価し、他の学生にとっては不満もあったようだが、最終的にはわたしをかばってくれたのである。
それだから、わたしは間違いをたくさん犯したけれども、わたしという人間を見失わずにすんだのである。
好奇心が強い部分に対しては、素直に誇ってもいいと思えたのである。
そして、自分の誇れる部分を認識して初めて、自分の非を認めることができるようになったと思う。
たとえ、自分に過ちがあっても、それですなわち人として否定されるわけではない、という自信を得たからだと思う。
女性の25%は一生のうち一度はうつ病を罹患するそうな。
女性は基本的に真面目で、否定的なことを改善させようと努力しようとするからだろう。
わたしも、いじめにあっていたとき、自分の欠点を直したいと思っていた。
自分を変えたい、と強く思っていた。
けれども、そう思えば思うほど、「自分はダメな人間」という認識を強くするばかりで、自信がないから努力は空回り、挙句には人と交わるのが怖くなって、内側にこもっていくだけだった。
でも、このままの自分でも評価してくれる人の存在によって、「わたしのこういう部分がダメなんだな」と素直に認めることができるようになったと思う。直すのではなく、受容。
そういう意味で、恩師は、苦しさで自分を見失いかけていたわたしを救ってくれた恩人なのである。
まぁともかく、卒業してから8年もたつのに、いまだこうして交流していて、その度に刺激を受けることも多々あり、心温まる関係であるように思う。