自己啓発メソッド | いまのしゅんかん

自己啓発メソッド

日本人の友達と電話でセッション(時間を分けあって、話を聞き合うこと)したとき、彼女は再評価をすればするほど、ほかの自己啓発のメソッドに対して懐疑的になったと言っていたが、わたしも同感である。

日本を出る前に、彼女と一緒に、コミュニケーション能力を向上させるためのワークショップに参加したが、初対面の人といろんな意見を出しあって面白かったけど、本質的にスキルを向上できる方法ではないなぁ、と。

例えば、コミュニケーションで大切なのは、自分を大切にし、なおかつ相手も受容することとあるのだが、頭でそう理解しても、実際にいろんな局面でそれに従うことができるかというと、かなり難しいと思う。

やっぱり、人間だから、傷ついたり、腹立つこともある。

コミュニケーションで大事なことを認識していても、感情をコントロールできない状況で、冷静に相手をみることなんて不可能ではないだろうか。

また、インターネットを徘徊していると、さまざまなサイトで、「ルールズ」という恋愛指南のような方法を目にすることも多いが、わたしの意見としては、確かに方向性としては間違ってはいないが、弱っているときにはとても従えそうもないルールだなぁと思っている。

相手を惹き付けるには、ただルールに従えばいいのではなく、本質的に自分を好きでないと、相手に負担を感じさせてしまうことにもなる。

「わかってはいるけど、こうしてしまった~」

という人としてコントロールできない部分を、ルールはカヴァーできない。

わたしなど、弱っていたら、相手にとって好ましくないと認識していても、電話したい衝動を抑えられない。感情をぶつけたい衝動を抑えられない。

たとえ、そこで我慢したとしても、あとあとになって、もっと大きな感情の塊として噴出するのがオチである。

メソッドというのは、目標に到達することにこだわりすぎて、あくまでも表面的に取り繕うだけのような気になってしまうのである。

本質的に変わってないのに、変わっているよう見せかけるというかな。

電話したいというきもちは相変わらずあるのに、そこで我慢して、「電話したい」自分を見せないようにするというか。

それに対して、再評価は、本当の意味で自分を省みる機会を与えてくれる。

よくも悪くも。

客観的にどれがいいか、という基準がない。方向性もまったくない。

ただ、自分という人間をみつめるだけである。

どんな結果になろうとも、自分は自分、といったところだろうか。

昔は、いい年して、ろくに男性とつきあった経験がないことで、女性として欠陥あるような気がして激しい自己否定に走っていたけど、今は、それもわたしの人生なんだと思う。

自転車部の文集に「一生彼氏ができない」と書かれたことで傷ついたのもわたしだし、どうしてもセックスをしなければいけないような気がして、きちんとした関係を築いていない人と一晩共にしてやるせない思いになったのもわたし。

みんなに嫌われていたので、バイトの後、夜中にこっそり研究室に来て夜な夜な実験したのもわたしだ。

前は、自分が人とまともにつきあえないことを周りに原因を求めていたけど、今は、誰かのせいというのではなく、ただその困難も自分の一部だと認識している。

自分を成長させたい、自分を変えたいという自己啓発への欲求はすばらしいと思う。

でも、本質的に自分を変えるのではなく、自分を変えたように見せかけるだけでは、きっといつか無理がくることを懸念しているのである。

自分を大切にすること、相手を受容すること、ことばにするのは容易いが、実際にはとても難しい。

どうしても思い込みにとらわれて、自分を見失ってしまうことが多々ある。

まず、自分という人間を知って認めることが大事だと思っている。

そこで初めて、人とは違う自分の道がみえてくるような気がする。