お金とのつきあい方 | いまのしゅんかん

お金とのつきあい方

なんと、彼の元奥さんが、ついにクレジットカードを使えなくなってしまったそうだ。

おりしも、地方都市で出稼ぎに行っている間に。

日本では、インターネットの決済のほかは、店頭でカード決済することはあまり一般的ではないと思うが、この国ではほとんどカード決済ですませる。カードのコードを簡単に読み取ることができる機械がほとんどの店頭に置いてあるので、非常に短時間で決済できるのである。手数料はかからないし、おまけに店頭で余分のお金を引き出すことも可能。いちいち銀行のディスペンダーで現金をおろす手間を省けるので、わたしはほとんど現金払いはしない。セキュリティーの目的もあるが、所持金は常に2,000円程度である。

彼女は今遠くの地方都市に滞在しているのだが、さすがにカードの使えない不便さに耐えかね、彼に代わりに銀行に行って、事情説明を受けるのと、カード使用再開について問合せに行って欲しいと頼んできたそうだが、彼はこれは彼女の問題だからと断ったそうである。

おそらくは、残高を気にせずに遣い過ぎたために、銀行側がカード使用をとめたのではないか、とのこと。

家賃払いもあるし、おまけに市への借金返済もある。先月は水ぼうそうにかかってほとんど働くことができず収入がないはずだから、あっというまに底をついたのだろう。

だからこそ、あまり刹那的に生きるとリスクが伴う。備えも考えずにすぐにあるだけお金を遣ってしまうから。いざというときに、どうにもならない。

「きっと貯金が回復しても、カードはもう使えないと思う。でも、その方が彼女にとっていいんじゃないかな。カードが使えると、残高を気にせずに散財できるから。店頭では、残高に関わりなく、銀行側が止めない限り、支払いができてしまうでしょう?でも、ディスペンダーでは、貯金がつきるまでしか現金は引き出せないから。」

実は、去年、彼女はある刑事事件に巻き込まれたために、その賠償金としてかなりまとまった金額が小切手として送金され、彼のお父さんが昨日それを彼女の口座に入金したのだが、それもきっとまたたくまに消えてしまうような気がする。

いざというときのために、その半額は、彼のお父さんへの借金返済にあてるという合意を得ているものの、それも本当にされるのかどうか、わたしは疑っている。

以前も、返済すると言いながら、即座に翻意したことがあるので。

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彼のお父さんの、亡くなった友人の切手のコレクションを一部買い取るために、不整脈で体調が安定しないお父さんに代わって、彼がアイスランドに行く可能性が出てきた。

遺産を管理しているのは、オランダに住む娘さんであり、買い取るためのアレンジは、彼女の都合次第で決まることで、本当に実現するかどうかはわからないのだが、なんと、400万円の買い物だそうな。

「あの、、、そこまでして切手に執着する意味が理解できないのだけど。」

わたしは聞いてみた。

どうして、アイスランドのキャンセル(消印)付きの切手収集にはまっているのか、それは、アイスランドの独特の郵便システムに理由があるそうだ。

アイスランドは、広大な国土をもちながら、たった30万人弱しかいない小国である。

レイキャビックのような都市はまぁ他国の都市に遜色ないのだろうけれど、別の土地は、100人いればいいほうで郵便局も存在するが、さらにぽつぽつとしかいない土地は、郵便局がなく、ある所定の人が代わりに消印を押し、定期的にやってくる郵送便にその手紙などをのせるそうである。

したがって、その個人が押すような消印は、3世帯とか5世帯とか数が著しく少ないだけに非常に珍しく、その稀少さも手伝って、惹き付けられるそうだ。

お父さんらしいなぁ、と思った。

デザインとか、色使いとか、外見の美しさではなく、その個人の履歴にドラマを感じて惹かれるところが。

実際に、そういう切手に関する文献も、たくさん読んだそうだ。

確かに、社会のあり方とかも垣間見れて、意外と深いのかもしれない。

400万円は確かに大きな金額ではあるが、お父さんは基本的にかなりつましい生活をしている。旅行もしないし、外食もしないし、物もたくさんもっているわけではない。

切手が唯一の趣味であり、だからといって切手に費やしているのは、貯蓄に対してわずかな割合でしかない。好きだからといって、それに全精力かけているわけではない。

しかも、ただ買うだけではなく、文献を読み、自分でも論文を書き、他のコレクターと盛んに情報交換し、買うまでの過程をも愉しんでいるようである。

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つくづく、お金との関わり方は、人それぞれだなぁと思う。

お金のつくりかたも、お金の遣い方も。

スコットランドでのサミットで、アフリカ支援について議論したそうだが、彼が、

「でも、資金援助しても、本質的な解決にはなかなか至らない。お金はあっというまに消えてしまう。システムが改善されない限り、一時的な解決にしかならないよ。もし、無料で食べ物が手に入ったとしたら、君は食べ物を買わないだろう?そしたら、農夫はやる気を失って、ますます生産力が落ちてしまうことだって考えられる。援助に依存する限り、本質的な助けにはならない。自立するための援助じゃないと、意味はないんだよ。なのに、学校設立のための支援をしても、実際には別のことで資金は消えてしまう。だから、意外と根が深い問題で、解決は難しい。」

激しく同意である。

わたしが、彼の元奥さんがまとまったお金を手にしても、お父さんに借金返済はしないのではと疑っているのも、まさにそこである。

感覚や意識が変わらない限り、きっと彼女は永遠に経済的な問題を抱え続けると思う。