イマジン
大学の食堂で、パソコンを持ち込んで、論文の修正にウンウンうなっていたら、偶然授業でお世話になった教授が通りかかり、わたしの論文を見てくれるとのこと。
彼女が、リトアニアの学会を紹介してくれた当人であり、その分野にかなり明るい方で、心強い限りである。
実は、わたしの研究分野は、工業的には広く利用されている技術なのだが、学術的にはかなり中途半端な位置にあるといってよい。
実際に、こないだの学会も、関連はしているものの、主流の研究からは程遠いテーマであった。
かなり経験論でもってカヴァーされている分野であり、理論的に説明するのにものすごく苦労するのである。
でも、わたしは、そこをもっと学術的に納得させられるような研究をしたい、という夢をもって、この国に来たのである。
今も博士論文の執筆の準備をしているが、構成から文献の引用から学術的な説明から何から何まで、他の博士論文の典型的なフォーマットの参考なしに、一から考えている。
ものすごく孤独な作業なので、こういう手助けが非常にありがたいと思う。
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つらいこともあるのに、何がわたしをここまで駆り立てるんだろうと思う。
考えるのがすき、というよりか、頭の中で絵を描くことが好きなんだと思う。
科学は、数式を駆使する学問ではなく、頭の中にイメージすることだと思うから。
彼は、数学が得意なのだが、レゴブロックでマニュアルなしで複雑な構造をした船とか家とか駅などをさくっと造ってしまうし、知恵の輪のようなパズルを解くのも上手である。
空間認識に長けているというか、それこそ抽象的なことを頭の中で具象化することが得意なんだと思う。
統計について少し教わったときも、ただ数式の羅列ではなく、概念を図に現してくれて非常にわかりやすかった。本質的に理解しているからだろう。
わかっていない人ほど、難しい専門用語で誤魔化したりする。
でも、本当に勉強の楽しさを知ったのは、研究室に配属になってから。
型破りな指導教官で、実にフランクにディスカッションする機会にあふれていたから、どんなバカな発想をしても許され、自由に考えることができ、イメージすることの楽しさを知ったのだと思う。
それまでは、勉強というものは、与えられた認識をただ記憶していくだけのものと思っていた。
ここの国では、歴史の授業で、本物の資料を扱いながら学ぶのだという。
教科書に書かれている事実を覚えるのではなく、直接資料を通して、自分自身でその事実について理解し、どういう見解をもつのか、一人一人意見を求められるそうである。
どうしても時間かかってしまうので、広い範囲で学ぶことはできないが、日本のように全体の歴史をただ覚えこむよりも、ずっと興味深いやり方だと思う。
現に、わたしは世界史を学んだが、ほとんど覚えていない。彼と、リトアニアの話をしただけで、自分の認識不足を実感している。それに対して、彼は、旧ソ連のことをよく知っているだけでなく、日本のことも知っているし、ユダヤ人のこととか、アジア諸国のこととか、ほーとうなずかされるばかりである。
意見を言うことは、頭で事象を想像しないとできないことだと思う。
そして、それこそが、学問の醍醐味でもあると思うのである。
そういう楽しさを、研究室に入る前に知っていれば、もっと充実した時間を過ごしていたかもしれない。