自信が豊かにする
もう1週間ぐらい前のことであるが、彼が保育園で、理学療法士さんに息子さんの筋力が著しく弱いと言われたそうだ。
その人には、あまり積極的に運動を促しても、あまり効果はない。ただ他の子供よりも発達が遅いだけだから、それを待ちなさい、という話だったとか。
そのときの彼は、落胆したというよりも、むしろ安堵している表情であった。
きっと、今まで彼が息子さんに何もかもサポートしすぎて運動能力に障害があると懸念していたからだろう。自分の育児のやり方に過失があったわけではないことを認識して、心からほっとしたに違いない。
なんだかそういう彼の反応にカッときた。
「いくら専門家に積極的な働きかけをしなくてもいいと言われたからといって、サポートしすぎるのがよくないことには変わりないでしょう?確かに、運動能力は、努力しても変わらないと思う。でも、もっと重要なことは、その運動能力の乏しさにくじけてしまわないような、何かを成し遂げようとする粘り強さを育てることじゃない?現に、今K(息子さん)は、トライする前にあきらめるか、あるいは少しやってみてできなかったらすぐにくじけるじゃない。そこで自立を妨げることになるんだよ。いくら時間がかかっても、自分でやってみるという意欲は促す必要があると思う。」
息子さんは、先天的に筋力が弱い子供だ。
でも、それに対する考え方が、彼とわたしとでかなり違う。
わたしは、勤勉とされる日本人のせいか、それによって引き起こされる問題を少しでも改善させようと思うが、こっちの人たちは、そういう特徴だったらあえて努力などせずに受け入れるしかない、という考え方のような気がする。
日本では、ダウン症の子供でさえ、創意工夫でさまざまなツールでその障害を改善させようとするプログラムがあるほどだけれど、こっちは障害があってもあえてそれを克服させようとはせず、社会で介助するシステムになっている。
どちらがいいのか、判断することはできないが。
わたしも、運動能力は低い方だと思う。
筋力も強い方だとは思わないが、それに加えて不器用。
何もかも、新しいことは人一倍時間がかかってしまう。
中高とやっていたバレーボールも下手なままだったし、スキーもなかなか上手になれなかった。
ちなみに、車の運転教習も最初はこけまくっていた。
だけど、我ながら粘り強さはあると思う。
できないことに悔しくなるのだけど、できるまでなんとか努力しようとするというか。
数年前にはまったスノーボードも、なかなかターンのコツがつかめずに転んでばかりだったが、できるようになるまで何度も何度も練習してできるようになったのである。
わたしは、運動能力には乏しいが、これでも運動することによって得られる快感を何度も味わってきたので、粘り強さがあって幸いしたと思う。
運動だけでなく、不器用なので勉強も仕事もとっかかりが悪いが、できないとあきらめずに努力することによって乗り越えたときの達成感は、なんとも言えない感慨をもたらしてくれるものである。
ちなみに、わたしの専門である「化学」は、高校1年で初めて履修したときにはなかなか理解できず大嫌いな科目であったが、試験範囲であったモルの概念を必至になって理解し、その結果クラスで一番になって自信がついたのが、「化学」を選んだきっかけである。
また、英語も大嫌い。ずっとどん尻の成績だった。でも、研究を始めて、文献を読みたくて少しはマシな能力になるようにがんばった。
全般的な能力には乏しいが、あきらめなかったことで可能性が広がった経験が多々あるだけに、やっぱりモチベーションを育てることにものすごい関心がある。
だからこそ、やはり筋力の弱い娘を、毎日「赤ちゃん体操」したり、おだて作戦で自分でやるよう促してきたのである。
そのままの特性を受容することも大切だとは思うが、人生豊かにするためにも、自分でできるという自信もつけさせたいとわたしは思うのである。