自分を受容してくれること
どうも、ストレスがたまっていたようだ。
最近、毎晩のように、彼に愚痴をこぼしつづけていた。
でも、ちっともすっきりしない。
言いたい不満すべてぶちまけているのに、イライラはなくならないのだ。
昨日も、いつものように彼にぐちぐち言っていたのだが、なんですっきりしないのか、わかってきた。
わたしは、わたしが抱える不満や問題を、彼に解決して欲しいのではなく、ただわたしが感じていること思っていることを受け入れて欲しかったんだってこと。
男って、女よりも、感情よりは現実的に考える性をもっていて、ありがたいはずの提案もしてくれるのだが、そういう対処は余計イライラさせるのである。
だって、問題を解決できるのは、本人でしかないから。
問題が明確になっている場合、例えば経済的に困っているとか、課題で困っているとか、そういうやるべきことがはっきりしているときには、助言も有効に働くが、精神的な問題は本人でしか対処しようがない。
具体的な不満としては、元奥さんをみると胃がキリキリしてきたり、彼が他の人と話すときにわたしの目の前でも現地語で話すために会話に参加できないことがさびしかったりするのだが、ストレスはそこからだけではない。
おそらく、この国に住み続けるかもしれないという可能性が濃厚になってきた今、仕事や語学など、さまざまなことがプレッシャーとなって、ささいなことでも、感情を揺さぶられるようになったんだと思う。
3年という期限でここの国に滞在する意向をもっていた以前は、たとえ言葉ができなくてうまく人と交われなくても、テレビや新聞などを理解できなくても、それほど問題には感じていなかった。
どうせ日本に帰ったら、また日本の友達と交流できるし、日本の文化を思いきり享受できるし、別にここの言語を習得しなくたっていずれはまた充実した生活が送れるのだからいい、ぐらいの感覚だった。
仕事だって、日本に帰ればなんとかなる、ぐらいの思いがあった。
当然、彼はそういうわたしの不満を聞くことによって、今後はできる限り英語で話すとか、語学勉強には自分も協力するとか、仕事もできる範囲で探すことを手伝うとか、いろいろ言ってくれるんだけども、物理的な対処については、わたし自身どうするべきか明確にわかっていて、彼に直接問題に対してどうこうして欲しいわけではない。
ただ、そういう外国で永住するかもしれないという可能性に伴う不安を少しでも理解して欲しかった。
最後には、泣きながら、
「サジェスションを与えるのではなく、ただわたしのきもちを受け入れて欲しい。わたしを理解してくれる人がいるという自信が、今後の物理的な対処への力となりうるから。」
と訴えたら、さすがに彼もしゅんとしながら、
「うん。わかった。君が僕に本当に望んでいることがわかった。」
と理解してくれたようだった。
泣いたせいもあるのだろうか。
そのあとは、妙にすっきりした。
ディスカッションではなく、感情のやり取りを望んでいたんだなって気づいた。
***************
徹底的に集中して、直しが入った論文一本を修正し、また別の論文一本を書き上げて、まとめて2本の論文を指導教官に送った。
今度のリトアニアで開催される学会の準備を手かげた。
わたしがやろうとしている顧客獲得のための営業について、同僚とディスカッションした。
味方がいる限り、前に進んでいける。
***************
彼もまた、離婚を決心する直前、あまりにも元奥さんとの関係が悪化して苦しいとき、その感情を吐き出せる人を欲していたという。
もちろん、彼のお父さんは相談相手ではあったが、決心していないのに勝手に弁護士との面談のアレンジをするなど現実的な対処をされてプレッシャーを感じるばかりだったとか。
それよりも、そんなボロボロの自分を受け入れてくれる人がいる。
その事実が自信へとつながり、自分を大切にするための決断を、ほかの誰でもない、自分みずから下すことができるのだ。
つきあう前、わたしの
「あなたは本当に結婚しているの?」
という質問がきっかけとなって、堰を切ったかのように今までの結婚生活について2時間にわたって滔々と語りだしたときには、ああこの人はただ耳を傾けてくれるひとが欲しかったんだなと思ったのだけど、その存在は本当に大きい。
ある意味で、恋愛相手よりも、そういう相手をお互いに求めていたのかもしれない。