それ自体喜びをもたらしくてくれるもの | いまのしゅんかん

それ自体喜びをもたらしくてくれるもの

掃除


連休の最終日、冷凍庫の掃除をした。

わたしが以前、半開き状態にしてしまったので、内部に氷が厚く張り付いていたからである。

娘も興味をもって、彼と3人で地道にお湯をかけて氷を溶かす作業をかれこれ一時間。

すっかりきれいになった冷凍庫に、なんともいえない充実感をしみじみ。

娘など、翌朝起きるなり冷凍庫を確認して、「おお~!!」と再び感動。幸せの瞬間である。

 

*****************

 

彼の元奥さんを好きじゃないのは、価値観が違うだけでなく、性格も正反対だからだと思う。

彼女は、見るからに人好きしそうな明るさがあり、友達を作るのも容易な方であるが、わたしは逆に人を近づけない雰囲気をもっており、社交性に乏しい方である。

彼女はしょっちゅう携帯電話で誰かに電話したりメールして、彼にもつまらないことで電話してくるが、わたしは携帯を普段持ち歩かないし、滅多なことでは電話しないしメールもしない。

 

彼女が、「広く浅く」に対し、わたしは「細く長く」付き合う方である。

 

彼女の母国の人たちは、押しなべて社交性にすぐれ、「シェア」の精神に富んでいるという。

お金の貸し借りもしょっちゅうしているようである。

 

でも同時に、わたしからしてみると、孤独に耐えられない、一人では解決できない、集団じゃないと安心できない面もあるのではないか?と思ったりする。

 

わたしにとっても、友達の存在は大切なものである。

でも、決して寂しさを埋める存在ではないし、困ったときに救ってもらおうと思っていない。ただ、友達が好きというきもちだけで、その関係を大事にしている。

 

助け合うことはあるけれども、決して依存しあう関係ではない。助け合うというのは、本人の発展を助けるものであって、決して本人の問題を肩代わりはしない。

お金を無心したことなどない。経済的な不安を漏らしたことはあるけれど、それならば市役所に相談するのはどうかと提案されて、それに従って自分で解決した。

日本人の友達が、課題で苦しんでいたときには、日本語の参考書を入手し貸してあげた。

 

わたしは、一人の独立した人間同士として、その関係を大事にしている。

だから、離れていてもさみしくはないし、どこかで元気にやっているのだろうと信頼している。

 

***************

 

元奥さんは、外ではとてもいい「妻」を演じていた。

隣人の人にスープをおすそ分けすることもあったという。

けれども、内情は、家事や育児のほとんどを彼が担っていた。

 

でも、労働は、何の見返りなしに、それ自体喜びを見出してくれるものではないか?と思う。

きれいになったら、それだけで達成感を味わえる。

育児も、大変だけれども、その過程で考えさせられて、いろんな発見があったりして、とても面白い。

 

彼女は、つまらないことであっても、なんとしてでもコンタクトをとろうとする。

まずアパートに電話して不在だと、次にわたしの携帯に電話を入れ、それでも連絡とれないと、彼のご両親宅に電話する。

それでこっちから連絡とろうとすると、応答がなかったりして、急ぎの連絡だと思ってコンタクトとれるまで彼もがんばってしまう。

相手の事情おかまいなしである。

 

彼女にとって、「労働」も、「関係」も、何かしら彼女にとって利益になるための道具なのかな?と思ってしまう。

病気になれば放り出すくせに、さみしいと息子さんを呼び出して遊園地で一緒に過ごす。おいしいとこどりである。

外からみえることはするけれども、見えない家事はしない。

 

***************

 

だけど、つくづく人って、表面だけではわからないなぁ、と思う。

それは彼女に限ったことではなく、彼にしてもそうだ。

きっと彼も、わたしが思いのほか怖い女であると認識しているに違いない。腫れ物に触るかのごとく、びくびくものでわたしに接してくるさまなど、ちょっと可愛そうになるぐらいである。

 

ちなみに、この国に対する印象も、数日旅行したときと、今住んでいるのとでは、大きな違いがある。