プライド | いまのしゅんかん

プライド

まだ、論文を修正している。

実証はしていないものの、看過できない現象について強調しておきたい箇所が、わたしの表現力が乏しいせいか、なかなかOKが出ない。

タイミングよく、恩師から関連文献を送ってもらったので、それを使って説明しようかと考えている。

 

それよりも問題なのは、共同執筆者の連名について。

わたしは、3人の指導教官がいるので、貢献の度合い関係なしに、彼らの名前も連名にしている。

 

しかし、どういうわけか、一人の指導教官はここ半年ほどミーティングにも来なくなってしまい、メインの指導教官である教授が、今回の論文でその彼を連名にするべきなのか?とつっこんできたのだ。

でも、その来なくなってしまった指導教官こそが、わたしのプロジェクトの資金を調達してくれた張本人であり、無視するわけにもいかず、論文を送ってコメントもいただいたのだった。

 

どうやら、何か二人の間で揉め事が起きたようである。

というか、メインの指導教官だけが勝手に怒っているといったほうが正しいが。

 

というのは、もともとメインの指導教官に属していたあるグループが、ほとんどその教授に面倒をもらうことがなく、実質的にその別の指導教官に指導を受けていたことから、この春ぐらいに、正式に所属がメインの教授から別の教授に移り、そのことでメインの教授が憤慨したとのこと。

それ以降、二人の関係が悪化してしまったとのことである。

 

ああ、ここでも権力ゲームが、、、。

わたしを実質最も面倒みてくれる指導教官は、虚栄心もまったくないので、それについて呆れていたが。

 

でも、研究の世界ではありがちなことでもある。

集団で生産していく民間企業と違って、一人一人異なるテーマで、研鑽していく世界だけに、ものすごくプライドが高い人が多いというか。

 

元夫も、普段の会話からは知性も何も感じられない低レベルなセリフを繰り広げていたが、彼がもつ研究テーマに関しては誰にも負けない自負があったようで、

さんざん幼稚レベルの会話(あまりにも恥ずかしい内容なので、ここでは書けません。というか、削除されるかも。)を交わしたあと、わたしが、

「あんた、バカ?」

というと、きまって、

「これでも、博士もっているんですが。」

ときたもんだ。

 

どこかで、その専門を極めているから偉いんだぞ、というニオイがぷんぷんきたものである。

その専門以外はからっぽなくせに!と反逆したいところだったが。

 

同室の女性いわく、大学の問題というのは、民間企業と違って、研究能力に優れているという理由だけで、人を管理する教育を受けていない人が、学部全体を仕切る立場に立たされてしまうことだ、と。

本来は、管理能力と研究能力は別物。

それなのに、管理能力があるかどうかに関係なく、人を管理しなければならないから混乱するのだ、と。

そういえば、わたしのメインの指導教官は別だけれど、教育能力のない教授というのも存在する。

 

要するに、マルチでできる人なんてそうそう存在するわけがなく、たとえひとつの能力に秀でていたとしても、それで万能だと信じずに、もっと全体をみていつでも謙虚に学ぶ姿勢をもつべきだと思う。

 

ちなみに、彼のお父さんも、民間企業をやめて独立したのは、他のマネージャーとの関係が悪くなったために、決断したそうである。

お父さんは、広い知識と豊かな経験をもっており、会社のほとんどを掌握していたそうで、その立場に別のマネージャーたちはやっかみ、いろいろと仕事の妨害をするようになったそうである。

しかし、そのマネージャーたちは、別の分野で活躍してきた人たちで、その世界ではいわば素人。なかなかお父さんのようになれないことに嫉妬したのではないだろうか、と。

 

それもまた、別の分野で築いた自分のキャリアに誇りをもって、その世界では素人であることを認めないで素直に学ぶこともせず、権力を握ることだけに関心をもった悪しき例といえよう。

 

わたしは、権力をもつことは、同時に責任を負うということであると認識しているから、自分の能力に自信がないのに権力をもとうなんて発想もないけれど。

ちなみに、もっとも面倒みてくれる指導教官は、学生を指導する責任を負えないからと、自ら助教授の椅子をけり、フリーの研究員として幅広く活躍している。実際には、彼のアイデアから、次々とプロジェクトが立ち上がり、結果としてリーダー的立場となっているが。

 

わたしは、「誇り」は、自分の思い込みではなく、結果として伴ってくるものだと思っている。