過去の保存
引越しに伴い、本棚を2つ購入した。
新しい本棚には、わたしの所有物だけで占有されている。
引越しの作業をしている。
たった25m2のワンルームフラットなのに、なんでこんなに物があるんでしょうというぐらいたまっていて、もちろん一部は処分もしたが、彼のアパートに運ぶのも何往復としている。
最初は、小さなスーツケースに、4つのダンボール箱からのスタートだったのに。
空間という空間にダンボール箱を置き、その中に物をつめ、備え付けの家具の収納という収納にはぎゅうぎゅうに何かでつまっていた。
主に、本と、娘関係の荷物であるが。
彼の元奥さんを批判できないほどに、娘の玩具が相当ある。
まぁ、親子二人きりで退屈することも多く、ショッピングはたとえ安いものでも気分転換にもなったから。それに、寒くて外に出られない冬、家で過ごさなければならないときのネタ、つまり創作の材料とかを揃えたり。紙粘土とかビーズとかフエルトなどなど。
家計簿をつけていて思うけれど、今は前に比べて必要最低限費やさなければならない以外の出費が極端に減った。買い物しなくても、楽しむことができるようになったから。子供二人いれば、ものを与えなくたって、すぐに「ごっこ遊び」など子供だけの世界に入っていく。
なんだか、荷物を整理しながら、なんとなくせつなくなってしまった。
娘と二人きりでもそれなりに満足していたつもりだったけど、時間が過ぎるのが遅い週末は苦痛も感じていたなぁ、と。
日本人の友達も、引越し作業が完了したようだ。
夏休みが終わってから、ボーイフレンドとの同棲をスタートさせる。
彼女は、わたしよりも狭いフラットだったにもかかわらず、物の多さは負けるどころか、もっと所有していたのではなかろうか。
なんと、最初日本から荷物を送ったとき、船便なのに10万円以上費やしたそうな。
一箱数千円だった気がするのだが、、、一体何箱送ったのだろうか。
一部彼女の不用品を譲り受けたのだが、樟脳も入っていた。
皮膚かさかさになってしまうほどのドライな国で何故、、、。
まぁわたしも、日本からラップ(ずっと高性能)をもってきたりしたが。
引越しで、人生観が垣間見られる。
わたしは、捨てられないタイプというか、過去をとっておきたいという嗜好がある。
このブログをほぼ毎日書き続けている理由も、まさにそこからきているのだろうけれど、わたしが歩んでいる過程を保存したいという欲求がある。
わたしにとっては、過去も財産のように捉えているから。
だから、写真も多いし、10年前にとった実験データも残しているし、創作したものもそのまま。日本の保育園からもらった手紙さえもファイリングしている。
捨てられなくて、他人からしてみればガラクタでしかないものが蓄積されていく。
残しているからといって、再度開いたり使うわけではなく、ただその蓄積に満足しているだけ。
これだけいろんなことをやったんだぞ、みたいな自己満足。
そういえば、中学生のときに4コマを導入したり絵を描いたりなどして苦労して作った修学旅行のスクラップを、元夫に発掘されてしまい、大ウケされてしまった。中学のときのさらにベタな感性がバレバレで。わたしがお産で里帰りしている間の、暇つぶしの友だったそうな。
過去なんて、恥だらけ。残していてもロクなことはないのに、やっかいな性格である。
父も、そういう傾向がみられる。
旅行を年に20回くらい行っているのだが、毎回、その旅行で得たパンフレットやチケットなどすべて保存し、ちゃんとスクラップしている。
そのくせ、旅行のときに言う感想は一編どおりだそうな。あとで聞いてもどういう建物だったとか、どの景色がもっとも印象的だったかとか、ちゃんと覚えていない。
が、旅行の回数だけは、正確に記憶しているのである。
「旅行をしている」ということだけに満足しているようにもみえる。
「保存する」ことよりも、その瞬間を「生きる」ことの方が、大切であることはわかっている。
のだが、、、、
とりあえず、彼のアパート、、、わたしたちのもので占拠されつつある。
