いとこ訪問
クラッシックな椅子
彼のいとこにお呼ばれして、子供たちも一緒に4人でうちから1時間半かかる街まで出かけてきた。
それほど親戚づきあいがあるわけではないが、その彼Aとはわたしたちも頻繁に会っている。今までは、Aが彼の両親宅に来て、それに合わせてわたしたちも両親宅に行って一緒に夕飯を食べるというパターンであった。
今日、Aの32歳の誕生日で、それでわたしたちが招待されたのである。別にパーティをするわけではないが。
わたしは、この国のことばが話せないので、やはり現地の人とコミュニケーションをとるのが苦手であるが、Aとは、同じ年齢(2ヶ月違い)であること、専攻が化学であること、同じ博士課程の学生であること、趣味が自転車で旅行することなど共通点が多いので、比較的馴染みやすかった。というか、話すネタがあるというか。(笑)
しかしその彼も、この度めでたく博士課程が修了し、無職状態となっており、わたしが働く大学近くのレストランでアルバイトとして働いているそうだ。
わたしも人事ではないのだが、研究職は本当に厳しいと思う。
Aは、数ヶ月後に、今まで働いていた研究所で雇用されるとにらんでいるが、パーマネントポジションではなく、Aのサラリーは研究所から直接給付されるのではなく、ヨーロッパ財団などどこかしらか資金を調達しなければならず、決して給料が常に保障されている立場ではない。
つまり、教授などの学生を指導するポジションとは違って、研究だけに没頭できる立場ではあるが、財団への応募者は多いためにいつも資金が獲得できるとは限らず、よほどの需要見込みがないと、その研究をするチャンスが与えられないのである。
まぁ、いずれは、彼が研究者として復帰できることを期待している。
わたしと彼が興味を持ったのは、Aが恋人を得るためのノウハウを学ぶコースのテキストをもっていたこと。
興味深々で少しだけ読んだけれど、レストランではおごらないとダメとか、プレゼントはこうするべきとか、そういう表面的なノウハウではなく、自分自身を見つめ直すような、自分の魅力とは何だろうかと考えさせるような内容であり、意外とちゃんとしたテキストなのかも、と思った。
それにしても驚いたのは、この国でも、そういう需要があるんだということ。
Aは、32歳にして、今までまともに恋人を得たことがないらしいが、本人は至って飄々としていて、あまりそれを卑屈に思っていないようであるのに、やっぱり関心はあるのね、と。
というか、この国の男性は、日本の男性よりも、コミュニケーションが上手で、恋人を得るのをそれほど困難としないのでは、と勝手に思っていたけれど、決してそうではない。
やはりそれを困難とする人もいるのだ、と。
自分に自信がないから、自分を大切にできない。
これは、日本人に限った問題ではない。
ちなみに、Aのお母さんは、彼のお母さんの姉なのだが、彼のお母さんが先に結婚するとき、式に出席しなかったそうである。
おそらく、自分がシングルである上に、ボーイフレンドもいないことを惨めに感じたせいではないか、とのこと。
そういう感情もまた、ここの国でも存在するのだ、、、
皆、自分は自分と、自分のペースで生きているような気がしたので、それも意外だった。
もっとも、自分に合う恋人を得るというのは、ある意味運も要求されるから、恋人が欲しい欲しいと思ってもそう簡単にはいかないだろう。
けれども、自分を見つめ直すという意味で、コミュニケーションについて学ぶことには意味があると思う。
そして、恋人に限らず、誰かと交わるということは、人生を豊かにもするだろう。
普遍的な事実の伝達だけではなく、他人の考え方や感性に触れて省みさせられる。何かを学ぶ契機にもなりうるのだ。
わたしの場合、何の意図もなしに再評価を始めて、自分についてじっくり省みる機会を得たけれど、同時に他人の深層心理に触れて、いろいろ共感を覚えたり、あるいは刺激を受けることも多く、なんていうか、、、人を好きになったような気がする。
それまで、大なり小なり人をカテゴリーで見ていた部分もあったけれど、それだけでは言い尽くせない、細かい感性のひとつひとつを認識したから。
それから、若い人、とても年上の人、男女問わず、いい出会いをするようになったと思う。わたしの親友のひとりは、10歳年上である。
彼が、わたしを既婚者と認識しながら、なぜわたしとコンタクトをとろうとしたのか聞いたら、「恋愛感情ではなく、友達としてでも、人と関係をもちたかったから。」とのこと。
それは、よくわかるような気がする。
Aも、いい出会いがあることを祈る。
とても子供好きな彼のいとこ

