外国での困難(2)
それにしても。
こういうときに、外国にいるとものすごい不安を感じる。
というか、やっぱりいちいち何でもエネルギーを必要とさせられる。
住居を探すのもそのひとつだし、子供のことで市にかけあったりなど、何でも日本とはシステムが違うし、ことばの壁でやりとりが何倍もハードである。
去年は、請求書と認識できなくて支払いをしていなかったら、携帯電話も止められてしまった。銀行口座から自動引き落としされているとばかり思っていたから。
今は、ほとんどの件で彼が助けてくれるので、前ほどハードではなくなったが、今回の病気はさすがに夜中だけあって彼も眠ってしまい不安にかられた。
日本人と結婚している指導教官のひとりと、国際結婚の問題について話したのだが、この国の文化に固執したりせず国際間の違いに対しても寛容に受け止めている彼は、国際結婚を前向きにとらえており、
「確かに考え方や文化が違うことは厳しいこともあるかもしれないけど、だからこそそれを言い訳にすることもできるんじゃない。国が違うんだから、すれ違ってもしょうがないって。」
「でも、やっぱり、外国人であるほうは、厳しいと思う。外国に住むってエネルギーが必要とされるから。」
「確かにね。僕も日本に住むとなったら、厳しいかもしれないなぁ。」
まぁ、日本は英語が通じにくいしね。
もっとも、奥さんは格別に英語力に長けていたからこそ、距離も一層に縮まったそうである。
指導教官と違って、この国の典型的なタイプである彼は、わたしがこの国の言語は習得してないが文化を好感をもって受け入れていることに対して好ましく思っているようである。
この国の現代アートに興味をもち、ドラマを関心をもって観、典型的な食べ物を好んで食べている。お昼の定番であるオープンサンドも好きである。
元奥さんが、なまじこの国の文化をほとんど拒絶していただけに。
だけどそれはたまたま、この国の文化がわたしの好みにあったというだけで、やっぱり自分とは違うものを受け入れるのはハードなことなんだと思う。
彼は、元奥さんの国にものすごく惹かれて、何度も訪れた。
確かに寺院などの建物は美しいと聞いているし、食べ物はおいしいし、わたしの友達が持ち帰ったその国の高山民族のひとたちが造ったという緻密な刺繍細工を目の当たりにしたときには、雷に打たれるほどの衝撃を受けた。あまりにもデザインが細かくて色彩が美しくて、それは見事な工芸品だったから。
だけど、一方で、その国の刹那主義でギャンブル好き、お酒好き、パーティ好き、カラオケ好きという嗜好からは、彼はあまりにも遠すぎた。
観光で文化の表面的な部分をみるのと、生活の基礎となっている本当の文化を受け入れるのとではまったく違う。
わたしも、この国のアートは気に入っていても、育児観など根本的なことがことごとく違うのに辟易し、すりあわせていくのが本当に大変だった。
でも、指導教官が言うように、同じ国だからこそ、違いを認めるのがもっと大変なこともあるかもしれない。
わたしは、夫とすりあわせていくことを、あきらめた。