人間ドラマ | いまのしゅんかん

人間ドラマ

この国きっての童話作家、アンデルセン生誕200年で湧いている。
わたしもこの国に来る前からずっとアンデルセンには関心を寄せていて、去年の夏には生誕地まで行ってアンデルセン博物館を観に行ってきたのだが、かなり苦境な人生を歩んだ人であることがわかった。

このイースター休暇中には、アンデルセンのドラマもやっていた。
青年になったアンデルセンが劇作家を目指して首都の街に上京したものの、誰にも相手にされず、しかし幸いにして王室と強いコネクションをもつ人に出会い、王室奨学金を獲得して小学校から教育を受けなおすといったストーリーである。

全体的に暗いタッチのドラマなのだが、なぜか何かを感じずにはいられない、深く考えさせられる良質なドラマだと思った。

彼とつきあうようになってから、この国のドラマを観るようになったのだが、日本のドラマよりもこちらのドラマの方がわたしの好みである。

なんていうのかな。
日本のドラマって、何でも紋切り型というか、キャラクター設定があまりにも単純すぎるきらいがあるように思う。
いかにもいい人とか、いかにもイヤな人とか。
なんだか、現実にはありえないタイプが多い。
それと、現実にはありえない現象とか。
例えば、シンデレラのようなストーリーも多くあるけれど、普通あんなに他人に傷つけられたら、まともな性格を保つのは難しいと思う。

それに対して、こちらのドラマは、もっと現実的。
悪役というものが存在しない。
人にはみんないい部分悪い部分があり、そしてそういう性質には必ずバッググラウンドがある。そのひとそのひと個人の過去が、その人格形成に影響を与えていることを緻密に描いている。
ひとりひとりのキャラクターに、ものすごく共感を覚えるのである。

アンデルセンのドラマでは、主に小学校の先生との関係性が話の中心となっていたのだが、どうしても夢見がちですぐに想像の世界に入ってしまうアンデルセンと、きちんとした教育を受けさせるべく厳しく当たる先生との間に飛び交う感情が、実に生々しく描かれていた。
アンデルセンは王室の奨学金を得ているので、いくら本来要求されている学業の進捗がはかばかしくなくとも、先生は直接アンデルセンを罰することはできない。
けれども、借金や妻との問題などで深刻な状況にある上に、創造性に乏しく、アンデルセンの才能を認識しながらも自身が得られない能力に嫉妬の念をもってしまう先生は、アンデルセンのもっとも大事な友達を手にかけてまでもアンデルセンを傷つけようとする。

アンデルセンの代わりに罰当番をさせられた大事な友達は、その仕事のせいで結核をこじらせて死んでしまう。その友達は、友達ができにくいアンデルセンの唯一の理解者で、唯一アンデルセンの才能を心から賞賛していた。死んでしまったときのアンデルセンの表情たるや筆舌に尽くしがたいものがあり、わたしも涙が出そうになってしまった。

けれども、一方で先生の感情もオーバーラップする。
アンデルセンに対する嫉妬の念。
それは、わたしのもつ感情の一部に近いものがある。

わたしも、彼の元奥さんに嫉妬していた。
語学学校に行かなくともこの国の言語を習得してしまったすばらしい語学センスや、免許をもってないのにすぐにマニュアルタイプの車を運転できてしまう新しい技術を獲得する際のすばやさ。
いずれもわたしにはない能力である。
なんでも新しいことをやるには人の何倍も労力を必要とする不器用な人間。それがわたしである。
自分は自分だと言い聞かせながら、実に流暢にこの国の言語を話す彼女の声を聞くだけで、身震いしてしまう。

わたしは、自分がいい人間だなんて、これぽっちも思っていない。
自分の中にある醜い感情も、しっかり認識している。

ドラマがあった夜、ひとしきり彼とドラマについて語り合った。
そして彼も、こういう現実的なドラマこそ、共感を覚えるといった。
彼もまた弱い人間で、それを痛いほど認識している。

だからこそ、こういう人間の生の感情を描いたドラマに、心から涙するのである。