責任を負うこと
彼が期待していた就職は、ダメになった。
非常に特化された範囲での就職情報だったのに、実際には応募者多数とかで、面接すらさせてもらえず書類だけで断られてしまった。
しかし、、、面接にもいけないとは。
彼の年齢の割には、キャリアを積んでいないことが、やはり不利に働いているのだろうか。
彼は何も言ってないけど(彼のお父さんから結果のことは聞いた)、その就職情報を入手したときには、面接を受けられるどころか、あたかもその仕事につけるような様子でうれしそうにしていただけに、蓋を開けてみれば面接すらも受けられない結果に終わったことはなんとも悲しい。
むしろ、わたしの方がショックを受けているような感じである。
というか、なんか彼は危なっかしいと思ってしまうのだ。
離婚を考え始めたとき、弁護士に出すレポートも、お父さんがたたき台を作ったと聞いたときには、ちょっとショックであった。
離婚が思い通りの条件でできたのも、お父さんの助力あって、いやお父さんの先導によってなされたことが大きい。
今の職場も、パートタイム勤務でフルサラリーが得られるのも、ぎりぎりの状況で試験勉強だけに専念できるのも、元奥さんへ資金援助できるのも、お父さんのおかげである。
わたしなど、誰の助けがないのもわかっているから、保育園が休みの土日に勉強することはあきらめ、授業が始まった9月から、娘が寝入ってから夜中まで勉強する日々が続いた。今年からは、パートタイムに切り替えようと思っているくらいだ。
だけど、彼は12月まで自宅での勉強はせず、クリスマス前から息子さんの育児を両親に全面的に委任し、ずっと勉強だけに専念する日々が続いている。
もっと早くから勉強すればよかったのに、と思ってしまう。彼はずっと9時ころに寝ていたのである。おかげで、クリスマス前から彼との時間は激減するどころか、わたしも息子さんの育児を手伝うハメになった。
いざとなったら、お父さんが助けてくれる。
そういう甘えというか、安心感にイライラしてしまうのである。
もし、お父さんがいなかったら、経済的困難から、離婚だってもっと早くから考えなければならなかっただろう。
問題に対して、もっと自分で取り組むという責任をもって欲しいのだ。
彼のお父さんは、小さいころから経済的に困窮する家庭に育ったそうだ。
両親の経済的な援助が望めないばかりか、むしろ両親そろってお父さんに相談にくる始末。
その結果、大人になるのがとても早かったそうである。
大学の在学中に、ある会社にパートタイムで仕事を始め、それと同時に結婚。21歳のときである。23歳で卒業し、同じ会社でフルタイムに切り替え、なおかつ大学で授業をもったそうだ。
貧しいために、学生のときから遊ぶことは一切せず、勉学に励み、貯蓄にも気を配っていたそうだ。
両親の姿をみて、自ずとお金のことに気を配るようになったのだという。
今でも、貯蓄のことを考えてしまうのは、そんなバッググラウンドがあるせいだという。
お金に限らず、どんな困難な問題も解決してきたのは、小さなころから両親に頼られてきて、自力で問題を解決しなければならないという自覚を促されてきたせいかもしれない。
わたしも、貯蓄癖があるのは、少なからず両親の影響が大きい。
うちは、経済的な余裕ができてきても、ケチであり続けた。
だけど、お金の理由で反対した両親の意思にそむいて、自力で大学院に行ったことは、自分の中ではいい経験になっている。
このとき初めて、自分の責任で何かをやりたいという意思が生まれた。
コンピューターゲームやインターネットで遊んでいるほかの学生を尻目に、わたしは院生活の一瞬一瞬をかみしめるようにして過ごした。
夕方アルバイトして、夜中に実験してという生活は苦でもなんでもなかった。
実際に、そのときの研究生活でこの国の研究者と知り合ったり、英語の論文を投稿したおかげで、今の生活があるわけだが。
限られた資金の中で、かけがえのないものにだけお金を出す。
そういうスタンスの方が、よっぽど意味のあるお金の遣い方ができるのだと思う。
時間もしかりで。
わたしは、子供を得てから、時間の使い方に気を配るようになったと思う。
いつも自分でどうにかしなくてはならない。
不測の事態はいつ襲ってくるかわからない。だから、問題を先延ばしにせずに、今できることをやってしまおうと。
夫みたいに、子供が寝てからコンピューターゲームなんて考えられない。
家事や勉強など、やらなければならないことをできるときにやっておかないと、いつまたできなくなるかわからないからだ。
夫がそういう非生産のことをするたびに、「アンタは、いつでもやりたいことができるからなー。論文書きだって、いくらでも遅くまでできるわけだし。」と心の中で毒づいていたものだ。
彼のお父さんみたいに、いつでも責任を負っているという自覚があれば、と思う。
責任感がないと、「どうにかする」ではなく、「どうにかなる」で、いい加減になるのである。
非常に特化された範囲での就職情報だったのに、実際には応募者多数とかで、面接すらさせてもらえず書類だけで断られてしまった。
しかし、、、面接にもいけないとは。
彼の年齢の割には、キャリアを積んでいないことが、やはり不利に働いているのだろうか。
彼は何も言ってないけど(彼のお父さんから結果のことは聞いた)、その就職情報を入手したときには、面接を受けられるどころか、あたかもその仕事につけるような様子でうれしそうにしていただけに、蓋を開けてみれば面接すらも受けられない結果に終わったことはなんとも悲しい。
むしろ、わたしの方がショックを受けているような感じである。
というか、なんか彼は危なっかしいと思ってしまうのだ。
離婚を考え始めたとき、弁護士に出すレポートも、お父さんがたたき台を作ったと聞いたときには、ちょっとショックであった。
離婚が思い通りの条件でできたのも、お父さんの助力あって、いやお父さんの先導によってなされたことが大きい。
今の職場も、パートタイム勤務でフルサラリーが得られるのも、ぎりぎりの状況で試験勉強だけに専念できるのも、元奥さんへ資金援助できるのも、お父さんのおかげである。
わたしなど、誰の助けがないのもわかっているから、保育園が休みの土日に勉強することはあきらめ、授業が始まった9月から、娘が寝入ってから夜中まで勉強する日々が続いた。今年からは、パートタイムに切り替えようと思っているくらいだ。
だけど、彼は12月まで自宅での勉強はせず、クリスマス前から息子さんの育児を両親に全面的に委任し、ずっと勉強だけに専念する日々が続いている。
もっと早くから勉強すればよかったのに、と思ってしまう。彼はずっと9時ころに寝ていたのである。おかげで、クリスマス前から彼との時間は激減するどころか、わたしも息子さんの育児を手伝うハメになった。
いざとなったら、お父さんが助けてくれる。
そういう甘えというか、安心感にイライラしてしまうのである。
もし、お父さんがいなかったら、経済的困難から、離婚だってもっと早くから考えなければならなかっただろう。
問題に対して、もっと自分で取り組むという責任をもって欲しいのだ。
彼のお父さんは、小さいころから経済的に困窮する家庭に育ったそうだ。
両親の経済的な援助が望めないばかりか、むしろ両親そろってお父さんに相談にくる始末。
その結果、大人になるのがとても早かったそうである。
大学の在学中に、ある会社にパートタイムで仕事を始め、それと同時に結婚。21歳のときである。23歳で卒業し、同じ会社でフルタイムに切り替え、なおかつ大学で授業をもったそうだ。
貧しいために、学生のときから遊ぶことは一切せず、勉学に励み、貯蓄にも気を配っていたそうだ。
両親の姿をみて、自ずとお金のことに気を配るようになったのだという。
今でも、貯蓄のことを考えてしまうのは、そんなバッググラウンドがあるせいだという。
お金に限らず、どんな困難な問題も解決してきたのは、小さなころから両親に頼られてきて、自力で問題を解決しなければならないという自覚を促されてきたせいかもしれない。
わたしも、貯蓄癖があるのは、少なからず両親の影響が大きい。
うちは、経済的な余裕ができてきても、ケチであり続けた。
だけど、お金の理由で反対した両親の意思にそむいて、自力で大学院に行ったことは、自分の中ではいい経験になっている。
このとき初めて、自分の責任で何かをやりたいという意思が生まれた。
コンピューターゲームやインターネットで遊んでいるほかの学生を尻目に、わたしは院生活の一瞬一瞬をかみしめるようにして過ごした。
夕方アルバイトして、夜中に実験してという生活は苦でもなんでもなかった。
実際に、そのときの研究生活でこの国の研究者と知り合ったり、英語の論文を投稿したおかげで、今の生活があるわけだが。
限られた資金の中で、かけがえのないものにだけお金を出す。
そういうスタンスの方が、よっぽど意味のあるお金の遣い方ができるのだと思う。
時間もしかりで。
わたしは、子供を得てから、時間の使い方に気を配るようになったと思う。
いつも自分でどうにかしなくてはならない。
不測の事態はいつ襲ってくるかわからない。だから、問題を先延ばしにせずに、今できることをやってしまおうと。
夫みたいに、子供が寝てからコンピューターゲームなんて考えられない。
家事や勉強など、やらなければならないことをできるときにやっておかないと、いつまたできなくなるかわからないからだ。
夫がそういう非生産のことをするたびに、「アンタは、いつでもやりたいことができるからなー。論文書きだって、いくらでも遅くまでできるわけだし。」と心の中で毒づいていたものだ。
彼のお父さんみたいに、いつでも責任を負っているという自覚があれば、と思う。
責任感がないと、「どうにかする」ではなく、「どうにかなる」で、いい加減になるのである。