幸福は自分自身によるもの
ランチのとき、ある人とふとしたことから、スマトラ沖の地震の話をした。
わたし「でも、すでに地震の情報は入手していたのに、なんで政府は何も言わなかったんですかね。まぁわたしも、まさかこれほどまでに被害が大きいとは予想もしてなかったわけですけど。あんなに離れたアフリカまでも死者が出るなんて思ってもみなかったですからね。でも、日本の場合、どんなに小さな地震でも即座に情報流しますから、ちょっと信じられないです。」
彼女「でもね。それは豊かな国だからだと思うの。アメリカも同じね。サンフランシスコの大地震のあとにセキュリティを強化したでしょう。でも、貧しい国ではそこまで人の命を重くみていない。現実に、毎日飢餓でたくさんの人が亡くなっている。地震による被害よりもはるかに多くの人が、飢えによって亡くなっているのよ。そんな国が、地震に対するセキュリティなんて考えもできないの。」
何も言えなかった。
こういうとき、日本人である自分を意識する。
日本人というバッググラウンドによって生じる価値観。
彼女は、英国籍であり、今はこの国の人と結婚もしているが、ご両親はスリランカ出身である。
地震によって、多くの人がアジアの現状に注目するようになった。
でも、以前から今ほどアジアの現実に目を向けることなんてあっただろうか、と思う。
日本は日本でいろんな問題が起きているし、悲惨な事件も多く発生しているが、豊かな環境を当たり前のように享受し、それを格別意識することもない。
******************
夜、彼のお父さんに、彼の離婚まで至る書類をほとんど英語に訳して読んでもらった。
すなわち、弁護士への手紙、元奥さんへの個人的な手紙、離婚の合意書である。
その中には、彼女の浪費ぶりが金額等も含めて赤裸々に記してあった。
今までもさんざん結婚生活の問題について聞いてきたが、さすがに具体的な数字を目の当たりにして、気分悪くなった。
彼のお父さんは、以前、あるお話をしてくれた。
ある漁業を営む男が、願いをかなえてくれるという不思議な魚を釣る。
男は無欲で、願い事などないと言うが、それを聞いた妻はいたく喜び、次々と願い事を言って、金銀財産を得る。
多大な財産を得たのちも、妻の欲求はとどまらず、魚は疲労困憊。最後に男に「あなたは家を出なさい。」と助言し、男は家を出る。
というお話。
いくら欲求がかなえられなくても充足できない。
そんな人は、最終的には何も残らない、ということを訓示にこめた話である。
高価なものを買ってもらい、何度も母国へ帰る旅費、滞在費等々つぎこんでもらっても、感謝するどころか、「またお金が欲しい。」と無心し続けていた彼女。
だけど、いつも彼女は文句ばっかり言っていたそうである。
あれしてくれないからどうの、とか、これしてくれないからどうの、とか。
お金やものに限らず、人の欲求はとどまらず、
恋愛しなければダメとか、
結婚しないとダメとか、
子供がいないとダメとか、
立派な仕事をしていないとダメとか、
やりがいのあることをもってないとダメとか、
いろんな欲求によって自分自身を追い込んでしまう。
あるブログで、「人の幸福を素直に喜べない、自分は弱い人間だ。」というコメントがあったが、
強い弱いではなく、何ももってなくても、それが自分なんだと認めることが大事なのではないか、と思う。
それがあって、初めて、幸福にみえる人の抱えている苦しさもみえてくるのではないだろうか。
そうじゃなければ、いつまでも満たされない自分自身によって苦しむことになる。
***************
今日、夜の12時近くまで家庭教師をした。
彼女は、成績のことでひどく落ち込んでいた。
はっきりいって、わたしが得た評定よりも高い数字を彼女は得ている。
わたしは言った。
「わたしの方が、もっと低い評価だよ。でもわたしは落ち込んでいないな。だって、成績って単なる過程じゃない?学ぶことに終わりはないわけで、わたしはこれによってもっと学びたいと思えるようになったから別にそれでいいなと思っている。」
現実を受け入れて、それからどうするか決めるだけ。
******************
貧乏で、頭悪くて、不器量な自分。
そんな自分が、社会の中で何ができるのか、頭悪いなりに考えている。
スマトラ沖の地震で募金活動したという友達を、尊敬している。
わたし「でも、すでに地震の情報は入手していたのに、なんで政府は何も言わなかったんですかね。まぁわたしも、まさかこれほどまでに被害が大きいとは予想もしてなかったわけですけど。あんなに離れたアフリカまでも死者が出るなんて思ってもみなかったですからね。でも、日本の場合、どんなに小さな地震でも即座に情報流しますから、ちょっと信じられないです。」
彼女「でもね。それは豊かな国だからだと思うの。アメリカも同じね。サンフランシスコの大地震のあとにセキュリティを強化したでしょう。でも、貧しい国ではそこまで人の命を重くみていない。現実に、毎日飢餓でたくさんの人が亡くなっている。地震による被害よりもはるかに多くの人が、飢えによって亡くなっているのよ。そんな国が、地震に対するセキュリティなんて考えもできないの。」
何も言えなかった。
こういうとき、日本人である自分を意識する。
日本人というバッググラウンドによって生じる価値観。
彼女は、英国籍であり、今はこの国の人と結婚もしているが、ご両親はスリランカ出身である。
地震によって、多くの人がアジアの現状に注目するようになった。
でも、以前から今ほどアジアの現実に目を向けることなんてあっただろうか、と思う。
日本は日本でいろんな問題が起きているし、悲惨な事件も多く発生しているが、豊かな環境を当たり前のように享受し、それを格別意識することもない。
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夜、彼のお父さんに、彼の離婚まで至る書類をほとんど英語に訳して読んでもらった。
すなわち、弁護士への手紙、元奥さんへの個人的な手紙、離婚の合意書である。
その中には、彼女の浪費ぶりが金額等も含めて赤裸々に記してあった。
今までもさんざん結婚生活の問題について聞いてきたが、さすがに具体的な数字を目の当たりにして、気分悪くなった。
彼のお父さんは、以前、あるお話をしてくれた。
ある漁業を営む男が、願いをかなえてくれるという不思議な魚を釣る。
男は無欲で、願い事などないと言うが、それを聞いた妻はいたく喜び、次々と願い事を言って、金銀財産を得る。
多大な財産を得たのちも、妻の欲求はとどまらず、魚は疲労困憊。最後に男に「あなたは家を出なさい。」と助言し、男は家を出る。
というお話。
いくら欲求がかなえられなくても充足できない。
そんな人は、最終的には何も残らない、ということを訓示にこめた話である。
高価なものを買ってもらい、何度も母国へ帰る旅費、滞在費等々つぎこんでもらっても、感謝するどころか、「またお金が欲しい。」と無心し続けていた彼女。
だけど、いつも彼女は文句ばっかり言っていたそうである。
あれしてくれないからどうの、とか、これしてくれないからどうの、とか。
お金やものに限らず、人の欲求はとどまらず、
恋愛しなければダメとか、
結婚しないとダメとか、
子供がいないとダメとか、
立派な仕事をしていないとダメとか、
やりがいのあることをもってないとダメとか、
いろんな欲求によって自分自身を追い込んでしまう。
あるブログで、「人の幸福を素直に喜べない、自分は弱い人間だ。」というコメントがあったが、
強い弱いではなく、何ももってなくても、それが自分なんだと認めることが大事なのではないか、と思う。
それがあって、初めて、幸福にみえる人の抱えている苦しさもみえてくるのではないだろうか。
そうじゃなければ、いつまでも満たされない自分自身によって苦しむことになる。
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今日、夜の12時近くまで家庭教師をした。
彼女は、成績のことでひどく落ち込んでいた。
はっきりいって、わたしが得た評定よりも高い数字を彼女は得ている。
わたしは言った。
「わたしの方が、もっと低い評価だよ。でもわたしは落ち込んでいないな。だって、成績って単なる過程じゃない?学ぶことに終わりはないわけで、わたしはこれによってもっと学びたいと思えるようになったから別にそれでいいなと思っている。」
現実を受け入れて、それからどうするか決めるだけ。
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貧乏で、頭悪くて、不器量な自分。
そんな自分が、社会の中で何ができるのか、頭悪いなりに考えている。
スマトラ沖の地震で募金活動したという友達を、尊敬している。