日付も変わり9月17日は僕らにとって特別な日。
以前にも書かして頂きましたが今日は母親の『命日』です。
さて内容も重たく、湿っぽい話にはなりますが覚悟はいいですか(笑)?
実は限定記事にしよーかどうかかなり迷いました。けれどこのブログを毎日の様に読んでくれている仲間の為にも普通公開にします。
過去記事『母の日に想う』
↑宜しければ……
自分の母親の話で些か恐縮ではありますが、例えるなら『向日葵』みたいな存在。性格。
常に明るい太陽の方角に向き、夏の暑い気候にも負けないで立派な花を咲かせる。
彼女の周りはいつも笑顔が溢れていました。
辛い顔も見せず息子の僕らには気丈な程に明るく振る舞う姿。自分の容姿が酷くやつれて老いていっても、笑い皺が無くなる事はありませんでした。
僕のピンチには最後まで教えを説き、見舞いに来てくれる沢山の人達には希望を与え不安を取り除き、母親以前に一人の人間としてとても深く尊敬しています。
無意識な状態が亡くなる数週間前まで続いたのですが、その期間は僕ら家族、親戚、親友と夜通しで持ち回り、お母さんの看病に当たりました。
親友の提案で『毎日おばさんの日記をつけよう』、その手紙はお母さんの棺の中に入る事になるのですが、今となっては嬉しく、懐かしくも悲しい思い出です。
亡くなった後、お母さんの携帯
に沢山のメッセージも入れて貰いました。知っている仲良くしてくれた数限りない仲間や知人に連絡を取り、この電話も棺に一緒にしまいました。
本当に沢山の人達に助けられた。
葬儀ではこれも不思議な事が起こります。
僕の幼なじみの実家がお寺をやられているんですね。
昔からの古い付き合い。母親がよく冗談で
「私が死んだらあなたにお経してもらうんだから!」
うちが檀家でもあるお寺がたまたまこの日は都合が付かず、色々系列で捜し回った結果、その幼なじみのおじちゃんが急きょお経を上げてくれる事になったんです。
これが本当に気持ちが籠もっているせいか、胸に響いて涙が止まりませんでした。運命の導きなのか引き合わせなのか、おじちゃんもお経を読みながらすすり泣く声が時折聞こえ、胸が苦しくなりました。
昔から可愛がってくれたおじちゃんが自分の母親の葬式を取り持ってくれる、、、。色んな思い出がフラッシュバックし、色が付き、声が聞こえ、現実を叩きつけられる。今も書いていて辛いんですが、この人の息子で良かったと誇りに思った瞬間でもあります。
葬儀では友達も沢山来てくれ一人一人が涙を流してくれました。
まだ入って間もなかった学校の友人も駆け付けてくれ、お焼香の際に一列に並んでくれた姿を見て号泣したのを思い出します。
その後、ある友人の一人が言ってくれた言葉
「雄介のお母さんには会った事がないけど、沢山の事を学ばせてくれた気がします。有り難う。どんな選択を取っても俺は雄介の味方だから。」
言葉の経緯はちょっとした事があったのですが、今でも僕の中でこの言葉は支えになっています。
しばらくした際、落ち込んだ自分を見舞いに来てくれた友人は、僕の大好きな桑田佳祐がカバーした宇多田ヒカル『FirstLove』を録音し直し持って来てくれました。
三人で泣きながら聞いたこの曲や思い出も今でも大切な宝物です。
最近ですが、ある記事を読みました。
うちの母親よりももっと若い34歳で逝った女性を悼む歌があります。
『遺児ふたり長き髪もつ明日よりは母に代わりて誰が結ばむ』
どんな死も悲しいのですが、若い母親のそれは切なすぎます。自分も親になり初めて身に染みる親の存在。大切さ。
まだまだ適いっこありませんね。
『男の子はやさしくなければいけません。まわりの人の言うことをよくきいて。いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ。本もいっぱいよんで、音楽もいっぱいきいて………』
連なる『いっぱい』に、母性の叫びが聞えました。
乳ガンに侵された先の女性は、幼子にこんな言葉を残しました。親はいつだって子供に命を注げられる。どんな状態、状況にいようが子供の為、子供がいるから、子供が愛しいから、子供が一番だから。
お母さんは風になり木になって、わが子に声援を送り続ける。
人の命は天に返り、魂は胸に生き続けると聞きますが正にそうだと感じています。
親があっての自分。どんな環境で育とうがどんな境遇にいようが、自分が『今』を生かせれてる事を忘れないで下さい。『今』を生きられない人達は沢山います。可愛いであろう孫を抱けない人達も沢山います。虐待しないで下さい。弱い人には力を貸して上げて下さい。僕らは皆繋がって支え合って生かされていますから。
沢山沢山の『愛情』がこの世界で溢れますように。
今日の仕込みが終わったら母親に家族で会いに行ってきます。有り難うってね。
長い文章ご免なさい。
以前にも書かして頂きましたが今日は母親の『命日』です。
さて内容も重たく、湿っぽい話にはなりますが覚悟はいいですか(笑)?
実は限定記事にしよーかどうかかなり迷いました。けれどこのブログを毎日の様に読んでくれている仲間の為にも普通公開にします。
過去記事『母の日に想う』
↑宜しければ……
自分の母親の話で些か恐縮ではありますが、例えるなら『向日葵』みたいな存在。性格。
常に明るい太陽の方角に向き、夏の暑い気候にも負けないで立派な花を咲かせる。
彼女の周りはいつも笑顔が溢れていました。
辛い顔も見せず息子の僕らには気丈な程に明るく振る舞う姿。自分の容姿が酷くやつれて老いていっても、笑い皺が無くなる事はありませんでした。
僕のピンチには最後まで教えを説き、見舞いに来てくれる沢山の人達には希望を与え不安を取り除き、母親以前に一人の人間としてとても深く尊敬しています。
無意識な状態が亡くなる数週間前まで続いたのですが、その期間は僕ら家族、親戚、親友と夜通しで持ち回り、お母さんの看病に当たりました。
親友の提案で『毎日おばさんの日記をつけよう』、その手紙はお母さんの棺の中に入る事になるのですが、今となっては嬉しく、懐かしくも悲しい思い出です。
亡くなった後、お母さんの携帯
に沢山のメッセージも入れて貰いました。知っている仲良くしてくれた数限りない仲間や知人に連絡を取り、この電話も棺に一緒にしまいました。 本当に沢山の人達に助けられた。
葬儀ではこれも不思議な事が起こります。
僕の幼なじみの実家がお寺をやられているんですね。
昔からの古い付き合い。母親がよく冗談で
「私が死んだらあなたにお経してもらうんだから!」
うちが檀家でもあるお寺がたまたまこの日は都合が付かず、色々系列で捜し回った結果、その幼なじみのおじちゃんが急きょお経を上げてくれる事になったんです。
これが本当に気持ちが籠もっているせいか、胸に響いて涙が止まりませんでした。運命の導きなのか引き合わせなのか、おじちゃんもお経を読みながらすすり泣く声が時折聞こえ、胸が苦しくなりました。
昔から可愛がってくれたおじちゃんが自分の母親の葬式を取り持ってくれる、、、。色んな思い出がフラッシュバックし、色が付き、声が聞こえ、現実を叩きつけられる。今も書いていて辛いんですが、この人の息子で良かったと誇りに思った瞬間でもあります。
葬儀では友達も沢山来てくれ一人一人が涙を流してくれました。
まだ入って間もなかった学校の友人も駆け付けてくれ、お焼香の際に一列に並んでくれた姿を見て号泣したのを思い出します。
その後、ある友人の一人が言ってくれた言葉
「雄介のお母さんには会った事がないけど、沢山の事を学ばせてくれた気がします。有り難う。どんな選択を取っても俺は雄介の味方だから。」
言葉の経緯はちょっとした事があったのですが、今でも僕の中でこの言葉は支えになっています。
しばらくした際、落ち込んだ自分を見舞いに来てくれた友人は、僕の大好きな桑田佳祐がカバーした宇多田ヒカル『FirstLove』を録音し直し持って来てくれました。
三人で泣きながら聞いたこの曲や思い出も今でも大切な宝物です。
最近ですが、ある記事を読みました。
うちの母親よりももっと若い34歳で逝った女性を悼む歌があります。
『遺児ふたり長き髪もつ明日よりは母に代わりて誰が結ばむ』
どんな死も悲しいのですが、若い母親のそれは切なすぎます。自分も親になり初めて身に染みる親の存在。大切さ。
まだまだ適いっこありませんね。
『男の子はやさしくなければいけません。まわりの人の言うことをよくきいて。いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ。本もいっぱいよんで、音楽もいっぱいきいて………』
連なる『いっぱい』に、母性の叫びが聞えました。
乳ガンに侵された先の女性は、幼子にこんな言葉を残しました。親はいつだって子供に命を注げられる。どんな状態、状況にいようが子供の為、子供がいるから、子供が愛しいから、子供が一番だから。
お母さんは風になり木になって、わが子に声援を送り続ける。
人の命は天に返り、魂は胸に生き続けると聞きますが正にそうだと感じています。
親があっての自分。どんな環境で育とうがどんな境遇にいようが、自分が『今』を生かせれてる事を忘れないで下さい。『今』を生きられない人達は沢山います。可愛いであろう孫を抱けない人達も沢山います。虐待しないで下さい。弱い人には力を貸して上げて下さい。僕らは皆繋がって支え合って生かされていますから。
沢山沢山の『愛情』がこの世界で溢れますように。
今日の仕込みが終わったら母親に家族で会いに行ってきます。有り難うってね。
長い文章ご免なさい。