『元(もと)の木阿弥(もくあみ)』なんて言葉があってそこから派生した今日のお話。 



*意味合い『いったんよくなったものが、元の状態に戻る事』*










調べましたその由来。 






戦国時代の武将『筒井順昭』が病死した時、その子供『順慶』はまだ幼く世継が出来ない。天下に死を隠す必要があった為、そこで声の似ている『木阿弥』という男を替え玉として使いました。 



外来者を欺く為に寝床で寝かせ、その存在を示していたそう。 





が、順慶が成人すると喪を公表しました。 




当然、木阿弥は用済みになり、元の身分に戻ったという話。 







この故事と似た話が連日マスコミが熱を上げて報道していますね。 






東京都の男性最高齢とされていた111歳が、実は32年前に死亡していたという奇談。 




『生存』の根拠だった区役所の住民票は、さしずめ現在の『木阿弥』と被ります。 





自宅からは本人とおぼしきミイラ化した遺体が見つかり、家族の行動も不可解でしたが、年金の給付ばかりか『元気高齢者記念品』まで贈った始末。 





そして事は更に続いてます。 





正に面妖な事態。 





今度は杉並区で、都内最高齢とされていた113歳の女性の所存が分かりません。 




住民票の地番には長女が長く一人で住み、本人には20年以上会ってないという。 





生死も分からないといい、人の『砂漠』に消えてしまったのでしょうか?安否が気になります…… 






人の世を『砂漠』と呼んで久しいのですが、近年とみに乾燥が進みつつあると思います。 




もともと地域の存在は希薄になっています。



例えばうちを出入りしている酒屋さんも、交わりを嫌がる個人の家の『出前注文』なんて皆無だそう。


道を歩く幼い子供達にさえ、「おはよー!」
の挨拶が出来ない時代です。





そこへ、かの『個人情報保護法』などが、人と人の繋がりを断ち切る方向にアクセルを踏んでいます。 





絆は細り、人は役所のコンピューターの中で事務的に処理されている。 






孤立、孤老、孤食……… 




近ごろは『孤育て』なる造語もあるそうです(*各ご家庭のご事情はありますので忌み嫌って言っている訳ではありません*)。 





『孤』の字がのさばり、はびこるのを許さぬ意思が、社会には欲しいとこです。  



同じ『孤』でも考え方、行動の仕方で自分よがりではない『独り』に成れると思います。 







思い付いたので、かなり久しぶりに今日の川柳。 







『神隠し!? 年金欲しさに 人隠し』






……お粗末さまでしたm(__)m  





にほんブログ村(こちらもポチっとアップ宜しくお願い致します。)