お久しぶりのブログだ(笑)。3日坊主にも満たなかった自分が恥ずかしい。しかしながら、まあこうして再開しているわけだからよしとしよう。今日は、私にとって非常に大切な考えが言語化できそうなので、是非とも書き残しておきたい。理由はともあれブログをする理由は自身の言語化能力を高めるためだから、更新することは悪いことじゃない。それでは、今日も張り切っていきましょう!

大学生活も後半に入ると、「何のために働くのか?」とか、「人生とは?」等々、一筋縄にはいかない問いに向き合う機会が多々ある。そこで私が自分自身に言い聞かせたいのは、

「素直に自分のために生きればいいじゃん!」

ということ。というのも、特にファーストキャリアを選択するステージにいる筆者は、幾度となく、"自己犠牲の美しさ"とでもいうようなものに縛られてきたからだ。「日本のために」とか、「発展途上国のために」とか、「社会のために」、「貧しい人のために」等々、枚挙にいとまがない。「え?そうじゃないといけないの?」と心のどこかでずっと思っていた。「誰かのためのの人生じゃないといけないの?」と思ってた。しかし、なぜだかその"自己犠牲の美しさ"とでもいうようなものに縛られ続け、「日本のプレゼンス向上のために、○○がしたい!」とか、「チームの勝利のためには私は邁進してきました!」とかを言っていた。それが本心ではないと心のどこかで思っていながらも、それを正しいことだと信じ続けていた。周りの大人も「私は発展途上国に雇用を生むために、△△をしてます。」と堂々と仰るのだから、もうこのスパイラルから抜けられない。

でも、今明確に言えるのは、日本のプレゼンス向上にしても、チームの勝利にしても、そいつらは目的ではなくて、あくまでも結果なんだったってこと。そして、目的は「自己実現」なんだってこと。自己実現した先に、社会で良いとされていることがある。そんな人のためにとかを第一に考えちゃうから、というより、第一に考えることが"美"みたいな風潮があって、それにのまれちゃってたから、今まで「何のために働くか?」と言われたときに、しっくりた回答が思い浮かばなかったんだなと思う。まあ普通に考えてみて、「私は自己実現のために、発展途上国にインフラ輸出という手段を使っています!その結果として、その国で雇用が生まれたら嬉しいです!」なんて言わないよね(笑)。それがTPOってやつか。

でも表向きではそういうことを言っていても、その言葉の本質にしっかりと迫らないといけない。充実した人生を送っている(ように見える)人は、自分のためとは言わないけど、本人が意識していようが、していまいが、充実してるってことは自分のために生きてるってことだ。

考えてみると、自分が今までアクションを起こしてきたことの多くは、本当に単純に「面白そう!」ただそれだけだ。チームのためとか、将来自分の知見を社会に還元しようなんて微塵も思ったことない。ただ単に、自分の好奇心に従って、自分の行動を選択してきた。しかし、働くということを考えたときに、就活というものに直面してから、そうした今までに培ってきた自分の行動選択の軸に逆らっていた。

だから、ここで読者(いないだろうがwww)、そして、誰よりも自分自身に言いたいことは、「もっと"個"を大事にした生き方をしてもいいんじゃないか」ってこと。"自分が"喜びや面白み、楽しさを感じることそれ自体に素直に向き合うこと。それがいわゆる自己実現だと思うし、それこそが美しいと思う。子供のため、社会のため、会社のためって言って、我慢して自分を縛って、疲弊している人って全然美しくなくないか?反対に、自信満々に自分がしていることを語っている人って美しいと思わない?きれいごとに過ぎないかもしれないけど、24時間365日、生まれてからずっと一緒にいる自分のために生きることが一番楽しいんじゃないかな。

もしこのブログを偶然見てくれた人がいれば、ぜひ「自分のために生きてますか?」と自問してみると良い。私もそうだが、年齢を重ねれば重ねるほど、所謂"エリート"になればなるほど、社会的責任が増せば増すほど、"自己犠牲の美しさ"という名の罠にはまってしまいがちかと思う。ぜひここでその罠から足を解いて、素直に自分のために生きようではないか。この罠から自分の足を解き放つのは、自分自身しかいない。