今日で4回目。

殺陣のワークショップ。

初心者に合わせた指導をしていると、難しい立ち回りとか出来ないくて、上級者の人達は物足りないだろうな。

早く足を引っ張らないくらいにならねば。

半分の年程、若しくはそれ以下の年令の先輩方とはなかなか馴染めない。大人しい人が多い。真面目なのだろう。

その上、今日は相方が居なくて若干、寂しかったし。
「(笑)」をニュアンス的に付けたい所だが、自分の為の忘備録的なこの場で「(笑)」は抵抗あるな。

未来の自分に話し掛けているつもりでいれば良いか。それなら、ニュアンスも大事か。ここ「(笑)」付けないと、マヂ寂しん坊の様だしな。


さて、基本動作の十から十五。忘れない内に反芻しておこう。

次は納刀の動作をしっかり覚える。

あれ、なかなか覚えられない。

その内、馴染めるのかな~

書き始めなくてはと思いながら放置していた。

つい。


タイトルの『降り鶴の丸』は、実家、日野の家紋。


なのだが、未だ怪しい。とは思っている。


父から、由布院の日野の家については子供の頃から、様々な話を聞かされた。

多分、兄弟の中で一番、私が多くの事を聞いているだろう。


私は聞いた話を忘れない子供だったので、覚えているのが私だけなのかも

しれないが。


追々、そうした事も頭が呆けぬ内に書き残していきたいと思う。


その中の一つが、この家紋だ。


子供の頃から聞かされていた。

日野家は南北朝時代、後醍醐天皇についた貴族が先祖。

家には家系図もあった。と。


既に怪しい。


そして、家紋はJALのマークを逆さにした様な鶴の紋。


JALと同じ上を向いた鶴の家紋は、見るが、降り鶴というのは珍しく、当時はなかなか

見つけられなかった。


父が数年前に事故で急逝した時。

お墓を建てたり、お寺さんを頼むのに、家紋や宗派を問われる事となり、

日野の実家が浄土真宗だという事等は、私しか覚えていなかった。

母など、最初、基督教と答えて慌てた。確かに一時期、基督教に傾倒していた時期も

あったのだけど。洗礼も受けたのかな。でも、私達の知る限り、基督教信者とは言える

ような生活はしていなかったし、教会にも通っていなかったから、基督教式の葬儀は

流石に抵抗あった。


そして、墓石の一部に彫る家紋。

今はインターネットというものがあって、本当に便利だ。

調べた。“降り鶴の丸”


降り鶴の丸


更に家紋についても調べてみた。

羽が上向きの“鶴の丸”が古くより日野家が用いているいる事は、いくつか見つけられた。

分家になるといろいろ付いたりするので、その中で降りたのかな。

九州の日野家が本当に“降り鶴の丸”なのかは、繋がりのある親戚が居ない為、確認が

出来ない。どうなのだろう。子供の父が逆さに見ただけ。。とかじゃないのかな。


まぁ、良い。

もう墓にも刻んでしまったし。家紋なぞ、戦国の世では適当に決めていたようだし。

父がそう言っていたのだから、違ったとしたら、父からの日野家は“降り鶴の丸”で良いだろう。

何よりこの図柄が気に入っている。


私は嫁いでいるが、姓は変わっても、紋付で背負う家紋は生涯、実家の家紋だから。

この事は、私もかなり年をいってから知った。なんとなく嬉しいものだな。


取りとめないな。誰に読ませる訳でもないから、良いのだけれど。

書いていく内に、うまくなると良いな。文章。