パリ五輪開会式レベルのものが日本でできない理由はセリーヌ・ディオンの愛の讃歌にある | イラストで綴る日常

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こんにちは、イトウエルマです。

 

パリ五輪が始まりました!

オリンピックの開会式は

コンセプトやイベントとしての完成度もさりながら、

それぞれの国の考え方が表れるのが
面白いものだなあ、と思って見ています。
 
2024年のパリ五輪。
正直、始まるまではあんまり期待していなかったのです。
 
パリは中世の時代からずっとヨーロッパ文化の中心、
西洋文化の中心地でしたが、最近はUS文化が幅を利かせているし
EUの一部になってからはフランスらしさ、というよりも
ヨーロッパ的な人たちの一部になってしまった印象で、
立ち位置もかつてとは違って来たんじゃないのかな。
3回目のオリンピック、目新しい切り口、あんの!?
と思っていたのです。
 
ところが、始まってみれば開会式史上初めての演出の連続で
さすがパリよのう、と世界が嘆息する開会式に。
なんでこれが日本でできないのよ、と
ムカムカしながらも見ていた己。
 
そして、最後のセリーヌ・ディオンの「愛の讃歌」で終わる演出!
ああ、これは世界のどの国もできない。
パリだからこそ、ですね、と納得。
 
素晴らしかった!
 
気持ちが高まって、勝手に19世紀末風ポスター、
作っちゃいました。(笑)
ブログ用にと思いつきで描いたので、
もっと直したいところいっぱいですが
ブログの更新日を優先しまして(汗 言い訳)
ちなみにイラストのラインを描いた筆は
フランスのラファエル社のものです。
( made in franceの筆のおかげで
タッチもおフランスちっく!? 笑)
 
 
この度、パリ五輪の開会式と比較をすることで、
日本国のイベントが何に重きを置いているかが
はっきりとわかりました。
今日はそんなお話を。
 
 
まずは2020(実際の開催は2021)
東京オリンピックを思い出してみましょう。
 
東京オリンピックの開会式、
むしろパラリンピックの開会式の方がよかったよね、
だけどもっとよかったのはリオの閉会式での演出、
というのは日本国民の共通認識だと思います。
 
そして誰もが疑問に思ったこと。
 
どーして開会式をリオのチームでやらなかったの!?
 
これらの顛末は週刊誌などが盛んに報じてまして、
そんなのを読むたびにイライラしておりましたが、
同時に納得もしていたのです。
 
日本、明治時代から全く変わってないんだな、と。
 
明治政府の問題点を鋭い観察眼で切り込んでいる本がありまして、
それが笑っちゃうほどに、今の日本そのまんま。
 
日本旅行を紀行文にした、イギリス人女性旅行家イザベラ・バードの
「イザベラ・バードの日本紀行」
旅行記ですがそれだけではない。
国への批判なんぞが全く許されない時代の日本人にはとても書けない内容で、
かなり読み応えがあります。
 
 
本書による明治政府の特徴は以下の通り。

 
官吏(昔の国家公務員)は補助的な地位しか与えられない場合、
自分の友人のためにできるだけ多くの「勤め口」を創設する
 
 
公共事業は莫大な金額を乱費、「ピンはね」がくりかえされた結果
潤沢な資金のほんの一部しか、本来使われる対象にまで達していない。
 
役に立たないけど派手で目立つ高額公共事業は
お金がかからなくて便益のある小さな事業をないがしろにする
 
とのこと。
ちなみに本書によると 公務員でも郵便局、税関、
ことに警察は手際よく運営されている、とのこと。
(司法は感心しない、とも)
そんなところも今と全く変わってない!!
 
 
本書が書かれたのは、ついこの間まで明治政府が江戸幕府と戦争をしており、
会津の鶴ヶ城などは蜂の巣状態のボロボロのまま放置されていた、
そんな時代です。
 
翻って、今を生きる我々は、
明治維新以後は富国強兵でピンポイントにしかお金を使えないから
みんなで不自由しながらも頑張って乗り切ったんだ、と教わってきました。
実際、ロシアとの戦争は予見されており、近代化を図ることが急務だった。
 
そんな折に、公金に群がる人たちによって、
お金が末端に行き届かない実態が
外国人にも見てとれたというのです。
(ウクライナと変わんない!?)
 
思っていた以上に汚職まみれ、コネ優先社会だった我々の国。
それが現代にも受け継がれていた!と気付かされたのが
今回の東京オリンピックでした。
 
とはいえ、運営する側にも言い訳があります。
それが「経済効果」。
「経済効果」に勝る価値は、おそらくこの国にはないでしょう。
「経済効果がない」となればどんな企画も霧散します。
 
その次に来る価値が「日本を発信」。
そして ALL NIPPON でないといけない。
 
つまり、日本政府関連の絡む大規模な企画には、
企画の充実以上に大切な価値があって、それが
1「関係者が潤うこと」
2「それらの波及効果によって日本経済が活気づくこと」
そして、3「日本人の力で日本を発信すること」
と、なる。
 
閑話休題、パリ五輪は歴史と文化、新しい価値観を全面に出していました。
そして、「パリらしさ」の追求が最優先になっていた。
唐突にミニヨンをぶっこんだり、など
是非モノと思しきアメリカ文化もうまく消化しつつ(ユニバーサルが出資してるんでしょうか)
必要あればフランス人には拘らず、これはと思う人を組み入れていた。

 

それを象徴していたのが、セリーヌ・ディオンの「愛の讃歌」。

 

聖火台に火を灯す柔道リネール選手と陸上ペレク選手で終わるかと思いきや、
最後を締め括ったのが、あの素晴らしい歌声でした。
 
 
今、地球上で愛の讃歌を歌うのに一番ふさわしいのは誰か。
 
常に新しいモノ、新しいことを発信できる人を引き寄せてパリの文化にしていった、
それがパリの歴史であったということに気付かされたのが、
カナダ人のセリーヌ・ディオンの魂の歌声。
(あの会場で命尽きるかと思うほどの迫力!)
 
衣装もありし日の時代感、漂っていたように思います。
歌い方も、時代を意識していたんじゃないのかな。
あと、佇まいがフランスの象徴「マリアンヌ」。
愛を失って崩れ落ちるような女ではない、
国を背負う人間の力強さが表現されていた!
運営側による素晴らしいディレクションも、
あの歌を作り上げていたと、思う。
 
 
末端からトップに至るまで、
パリという街の文化を考え続ける人たちがいなければ
生まれない演出でした。
(そして、あれこそが世界の上質な人々を呼び寄せる演出だな、とも)

 

 

 

というわけでして、大金が絡むと
オトモダチに分配しながら日本を発信、
経済を回すことに余念のない我々の国が
文化や演出を優先する日はまず来ないだろうな、
そんな期待をしてはならん!と理解。
 
 
一方で、トップダウンの発信はイマイチでも
庶民の間から生まれた文化が
世界でも高い評価を得ている日本(特にお江戸東京)。
だからおそばは美味しいのだな!と、
ありがたくいただいております♪